社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

ヤンデル先生のようこそ!病理医の日常へ

荒吐中止とアルカラ@大阪延期、悔しい。
行く心算も無かった(アルカラは行きたかったけど止した)のに、バクホンやミリキューの中止・延期並みに悔しい。つらい。
というか、其の一瞬の為に懸ける・・・のは音楽だってお芝居だって変わらんだろうと思う。
どうにもスポーツは優遇されがちなように思えるんですが、僻みですかね気のせいですかね。

「ヤンデル先生のようこそ!病理医の日常へ」(市原真/清流出版)読んだ。

ヤンデル先生のツイや本によって病理医という、医者の新たな一面を知ったように思う。
他の病院からも相談乗るそうでびつくり、だけどそうやって共有する事で沢山の事例を診られて経験を積む事が出来る訳だ。
其れを可能にする為のスケジュールの組み方は医療とは全然関係ない業務してる人間にも、ためになった。
「やりたい」のではなく「できること」を選び続けた先の病理医という仕事、ヤンデル先生には天職だったんだろうな。
気持ちの切り替え方も、ためになった。

SNSの話多いな、と思ったが其れもヤンデル先生の日常なのだ。
Twitterについて「発信用のツール」じゃなく「同期するツール」「呼応するツール」と仰るのが面白い。
自分は何等かのトリガーによって呟いたりRTしたりイイネしたりしているもので「なるほど」と。

あと面白いと思った話。
人体を構成する多くのモノに、いっぺんにアプローチすることでしか、体をよい方向にメンテナンスすることはできない。
その”いっぺんにアプローチする”方法・・・「運動」「睡眠」「自分の気持ちをよく保ってくれる趣味」。
とすると、数多の文化活動ってのは「健康で文化的な生活」の為、生きてくのに必要なんだな。
(勿論、スポーツだってそうだ。誰かが「健康で文化的な生活」送る為に必要なんだろう。)
閑話休題
何か1つ摂取するor実行する、それで健康よい生活!とはならないそうである。
医療も併せ技なんだって。
色んな物事に触れ、知っていくのは大事なんだな。
経験を重ねて照らし合わせて、向きを変えながら進んでいく、という考え方・物の見方が必要とされているのかも、だ。
どうしても自分の言いたい事を言いたいし気に食わない事は見たくないんで難しいなー、せめてヤンデル先生の文章やツイに触れる時に「ああ、そういう見方もあるんやね」と此の事を思い出して、必要に応じて改めていけたら。