社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

魂でもいいから、そばにいて

「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く」(奥野修司新潮文庫

東日本大震災で家族を亡くされた方達の体験談。
亡くなっても暫く(なのかずっとなのかは分からないが)生活されていた場に居てはるんやなぁ。
何らかの現象に理由付けをするのでもなく、どうする事も出来ない気持ちの落としどころにするのでもなく。
実際に”居て”はって、思い出の品を見つけはったり、兄弟と遊んだりする。
文化的に其れが受け入れられている、というよりそうならざるを得なかったんだろうと思った。
(受け入れられる文化なのなら、語る方が他の人に聞かれる事をあまり気にしないのでは?と思ったり)
亡くなった方だって分からないまま・・・なのかもしれない、だとしたら家族の為に出来る事をしてはってもおかしくない。
其其隣り合うように暮らしてはるんちゃうんかな。
成仏するとか”喪の仕事”とかとは別の話で。
読んでいる、被災地以外に居る自分も「そりゃそうだろうなぁ」と思うのである。
でなきゃやるせない。

淡々と、其其の取材相手の話を読みたかった。
著者の気持ちが入る割に冷たいというか。エモくないというか。エモさは要らんのやろうけど・・・。
変に入るならもう少し寄り添っていても良いように思うし、いっそ新聞に掲載されているような感じでそんなん無しで「こういう話がありました」だけ読みたかった。
ノンフィクションでもそこら辺のさじ加減は出来るのでは・・・。

どうでもいいニュース:
阪神淡路ん時、近い時期に誰か話聞いてくれたのかよ、と。
心まで気を配ってくれたのかよ、と。
やっぱり思っちゃうんだよなぁ。。。