社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

譲り譲られて生きるのさ

こないだのお稽古で只管SUGIZOの肩パッドについて力説していた。
力説し過ぎてミルクボーイのテトリスネタみたいになっていた記憶が。
説明しづらいので希望者には直接会った時に説明する。

朝、電車に乗ったら、遠足途中の子供達に遭遇、全力で「どうぞ」って座席を譲られた。
子供達がわらわらしてても危ないし、直ぐ降りるからええよ、と遠慮したが胸中複雑である。
まだ若いぞ!とは言わないけど、そんな御年頃ではないぞ・・・そう思うのは自分だけなんだろうか・・・子供達から見たら親御さんより年上、下手したらじーちゃんばーちゃんと年が近いのかも・・・そんなァァァ。
姿勢悪いから老けて見えるのかもしれない。
急ブレーキ掛からないとも限らないし此れから沢山歩くだろうから、お子さん、若者であっても座っててええのに。
でも譲らないと叱られたり他の子から”おわりの会”で詰められたりするのかな。
「遠足の時、おじさんおばさんがいっぱい乗ってきたのに山田君は席を譲りませんでしたー!いけないと思いますー!」とか言われてたら可哀想である。
おじさんおばさんが「座っててええんやで」って遠慮してて、山田君は悪くないのに。
だとすると遠慮したのが申し訳なくなってきた。

でも自分も同じ事してたわ。思い出した。
自分の時は、サラリーマンのおじさん(多分今の自分よりはもうちょっとだけ年上だと思う)に譲った。
一人じゃ狭くておじさん座れなかったんで、隣の子を道連れにした。
あのおじさんも「まだそんな年ちゃうで」と複雑だったのかな・・・ごめんなさい。
因果は巡るナントヤラ。
彼等も大人になった頃に「どうぞ」って譲られるんだろう。

尚、最終的に優しいお兄さん・お姉さんが座ってはった。
譲ろうとしてくれた一団は楽しそうにドアの窓から外見ながら五月蠅くない程度にはしゃいでた。和む。
窓はちょっと自分が譲った。

どうでもいいニュース:
イヤホンは子供達にも見えなかった。電飾付けるか。