社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

エモ怖

このご時勢のライブ遠征の話を見聞きするが、結局「折角行くのだから」と目的地であるライブ会場以外の所にも立ち寄ってしまうんだよな。
荒吐行くのだからその周辺、大阪行ったので奈良・・・とか。
行く人は同行者無しで独り、なんだろうけど「全く他人と関わりません」という訳にもいくまい。
そういうのがあるから経済が辛うじて回っている・・・けども。どうなんだろう。
人のこたぁ言えません。TRAD行く時に紀伊国屋書店”通り抜け”しちゃったんだから。
人との繋がりぶった切っていく新コロ怖ろしい、そして憎い。

「エモ怖」(松村進吉、丸山政也、鳴崎朝寝/竹書房怪談文庫)読んだ。

怖くない。マイルド。たまにはよいな。
エモというよりはメロウ、かといって「メロ怖」だとメロコアっぽくてちょっと雰囲気変わってきそうである。
音楽・ライブ関連の話も幾つかあるぞい。
同じ方の話。音楽・ライブ関連にお詳しい方かと思われ。
というかそのうちの1つ、「憧れの延長線上」を読みたかったのだった。
「憧れ~」はちょっぴり”きさらぎ駅”的な。違う次元に繋がったのかな?な話だった。
もしもあの人が居たら、音楽続けていたら・・・みたいなのは想像する事もあるかもしれない。自分はあった。
だけどこうやって”繋がって”しまって、”もしも”の先を知ってしまったら。
「元気に音楽やってますよー」だとしても、「死んじゃうよりも、いない感じがする」というのも辛そうである。
”いるけどいない”のとは違う辛さがあるんやろな。
好きなバンドのメンバーに面が割れてる、というのもついでにちょっと辛そう。
そういえば「いける・いけない・かえれない」に近い事はあった。
驚くほど道に迷った事がある。バスに乗り間違えたりめっちゃ近くに鳥居があるのに見えてなかったり。
自分の場合は辿り着けましたが。
あの時は偶然とはいえ色々あった。

あと「算命学怪談 占い師の怖い話」(幽木武彦/竹書房怪談文庫)読んだ。

昨日読んだやつの1つ前。
sociologicls.hatenadiary.jp
こちらの方が”ザ・怪談”という感じである。

怪談天中殺 占い師の怖い話

今日は低気圧に殺られていた。
起きるの失敗したらしくて軽く頭が痛いし気持ち悪い・・・そして眠い。
午前中の昼寝って何て言うんでしょうな。
二度寝の割に二度目の前に洗濯済ませられてるし、再起動中にゆうパック受け取り出来たし(そしてまた横に)。
軽く寝ると良いとは言うものの、昼寝的な寝方すると自分が寝たい時間の倍くらい横になる羽目になるのでちょっと困る。
あれ何でなんでしょうね。30分だが実際に起ききるまでに60分くらいかかるっていう。。。

「怪談天中殺 占い師の怖い話」(幽木武彦/竹書房怪談文庫)読んだ。

怪談文庫だけど表紙が怖くない!寧ろ綺麗である。
怖いというより、不思議が勝ってる感じ。
人の巡りあわせの不思議さ。
白龍がついてはる方の話とか卑弥呼の時代からの因縁とか・・・スケールでかい。
算命学知らなくても読めると思うが、知識あった方が怖さが差し迫って感じられるのかも。

自分の命式はどうなんだろう・・・と思ってインターネッツの占いで見てみた。
異常干支は出てないみたいなので、ちょっとほっとする。
なるほどなー、という感じである。
「一生を通じて、長い時間をかけて才能が変化していきます。」というのは嬉しい。これからまだ伸びるって事だろうから。
機会があればちゃんと観て貰いたいな。
この本と自分の命式を見比べてみて・・・と思ったが、此れ書いてる今はアルカラのスタジオライブ観ててKindleが使えない^^;

というか昼過ぎ買い物から帰ってきてからずーっと怪談総選挙2020読んでた。
雨しっかり降ってるしもう何もかも気圧の所為にしてしまえ。
過去に読んだやつと今回初めてよんだやつ1つずつ投票。アマギフ当たりますように。
ワッシュさんの「人馬一体」、つくねさんの「オリンピックの年に」あったら絶対投票しよ、と思っていたが無かった。残念。
オリンピックのは洒落にならんか。

どうでもいいニュース:
今は頭痛から回復している。やれやれだぜ。
頭痛あったら今日のアルカラのライブ観られなかったかも・・・爲川のギターソロが頭に刺さる。

不見の月 博物館惑星Ⅱ

今年もテレワーク出来ない代わりに有休取ってGW拡張するもんね!
・・・の筈が地味ーにちびちびと仕事あるもんで休めず。
其れは仕方無いとしても、依頼時に「いいよ」って言うてはったのに、何でワテが帰る時に「早くならへん?」て・・・もっと早く言ってくださいよ。

「不見の月 博物館惑星Ⅱ」(菅浩江ハヤカワ文庫JA)読んだ。

「永遠の森」に続き、地球の衛星軌道上にある巨大博物館「アフロディーテ」の物語。
今回は自警団員・健と警察機構のAIダイク(ディケだが健はこう呼んでいる)、アポロンに配属された新人の尚美を中心に彼らの同期や先輩、アーティストやらなんやらの物語である。
「永遠の森」の主人公の田代は健・尚美の上司として活躍、ネネも健在なのが嬉しい。
ダイクは健から人間の情動、物の見方や判断等を学ぶけれど、健はダイクに気持ち・考えを投げて返って来たモノを学んでいる。
そういう事が出来る人だから、ダイクと組む事になったんかな。
物語はⅡで一応落ち着く・・・のではなく、「ああよかった」と「くぅぅ続き気になるぅぅぅ」が絶妙なバランス取れたまま、Ⅲへ。
文庫版で同時に出たの解る、折角だから一気に読みたい。

美とは。
観るとは。
楽しむとは。
表現するとは。
色んな示唆がある。

自由って、言うほど自由じゃないんだろうね。
表現は自由、だけど何をやってもよい、許される訳じゃない。
観る人、聴く人が居る限りは。
「これは美しいか!」と問う場面があるけれど、其処で「ノー」となる、或いは「ノー」が多数となる場合は、自由を振りかざしちゃいかんのだろう。
少なくともアフロディーテに展示・収蔵されるべきではないのかと。
批評する側もそうなのかもしれない、見えない(見るのが辛い、見たくない)んだとしても、それが劇評として世に出る場合は己の気持ちばっかりじゃ美しくない、そして劇評もまた作品なのだとしたら。

とっちらかってるけど、そんなことを考えながら読んでいた。

「不見の月」は他の不見の月にも塗り込めてあるのだろうか、#十八を隠す為のカムフラージュなのか。
そちらにも思い出が込められていたらいいなぁ。
(とはいえ絵として楽しめなくなるのだとしたら・・・ううむ)

それにしても“観たく”なる、アフロディーテに居る美術品、植物、音楽、お芝居等等などなど。

どうでもいいニュース:
AIを直接接続するのはしんどそうやね。

昨日はびつくりした

ヤンデル先生反応早すぎ・・・びつくり。
SNSチェックタイムだったと思われるが。(そしてまた「続きまして」をリプし損ねる)
もしかしたらブログに纏まった感想書いてSNSに放流するの、ファンレターを瓶に詰めて流すみたいなもんなのかもしれないな。
清流出版の方も目を通してくださったようである。(/ω\)イヤンハズカシイ
後で読者ハガキ書いとこ。
それにしてもレビューとは恐れ多い、こそばゆい。
そんな冷静で立派なもんでもなく、感想書いて頑張って締めただけなのだが。ええんやろか。。。

・Sound & Recording Magazine
せっちゃん!
新譜の「Behind The Mask」カバー凄いで。
そのまま忠実にやってるのに斉藤和義色。
秋山黄色はCubaseユーザ。
ビル設計時からライブハウスを作る事を想定されている、というライブハウスが紹介されていた。
SHIBUYA DIVEというハコ。
何というタイミングで・・・生き残って欲しい。すっげー音良さそうなんだもん。
・ギターマガジン
ムスタング特集なので。
百々さん絶対載ってるやろ、と思ったらがっつりインタビュー載ってて嬉しい。
世間的にムスタングといえばCharなんでしょうけども、自分にとっては百々さん。
メイン機だけ音が太いそうだが、当たりなだけじゃなくて百々さんにがっつり鍛えられて音ぶっとくなったんじゃないのだろうか。
・・・とか書いてたらモーサム観たくなった。恋しい。
メンテ方法はストラトにも活かせるんじゃないだろうか、と考えたり。
そういえばアニメ・漫画にもよく登場していた。「BECK」の主人公とあずにゃん
ムスタングの扱いの難しさを実力の高さでカバー的な設定らしくてすげーな、あずにゃん
滝ちゃんはお元気そうで何よりである。庭で一人焼肉とは流石。
コラムに掲載されている滝ちゃんのライブ写真、一体脚はどうなっているんだろう・・・。
・リズム&ドラムマガジン
SATOちインタビューと、マツのコメントが読みたかった。
ちょっとだけ福島大逆襲の豚汁の話とか、ちょっといい話が読める。
(そういえばBOBOさんとこに「音楽と人」って一瞬出てくるな)
178Rのドラム、KAZIさんとツインドラムはどうだろう。
KAZIさんお忙しい時のトラとか。
庄村臨時大臣(「爆裂★エレキングダム!!」終わって10年経つけど未だそう呼んでしまう)のインタビュー読んでたらドロス聴きたくなった。ウムウ。
よよか嬢は親御さんや周りの方の影響で色んな音楽に触れまくってガンガンにコピーしまくって今のスタイル確立、ではないと知り吃驚。
ドラム好きそうだからと親御さんがセットに座らせるとこから始まって、セッションや独学で始めていったそうである。
聴くのは意識/無意識問わず色々聴いてはるんやろうと思うが、意外。
音が全然ロックやん。スネア1個叩くだけでも全然違うねんで。
双亡亭壊すべし(23)(藤田和日郎小学館少年サンデーコミックス
双亡亭への一斉攻撃でのTV中継のレポーターのコメントがめっちゃ今の日本に刺さる!
・・・とかって読んでて・・・え・・・まじ・・・
自分の好きなキャラが複数死んだっぽいんだが。
後で「実は・・・」ってなるパターンやんね?そう言ってくれよ!

ヤンデル先生のようこそ!病理医の日常へ

荒吐中止とアルカラ@大阪延期、悔しい。
行く心算も無かった(アルカラは行きたかったけど止した)のに、バクホンやミリキューの中止・延期並みに悔しい。つらい。
というか、其の一瞬の為に懸ける・・・のは音楽だってお芝居だって変わらんだろうと思う。
どうにもスポーツは優遇されがちなように思えるんですが、僻みですかね気のせいですかね。

「ヤンデル先生のようこそ!病理医の日常へ」(市原真/清流出版)読んだ。

ヤンデル先生のツイや本によって病理医という、医者の新たな一面を知ったように思う。
他の病院からも相談乗るそうでびつくり、だけどそうやって共有する事で沢山の事例を診られて経験を積む事が出来る訳だ。
其れを可能にする為のスケジュールの組み方は医療とは全然関係ない業務してる人間にも、ためになった。
「やりたい」のではなく「できること」を選び続けた先の病理医という仕事、ヤンデル先生には天職だったんだろうな。
気持ちの切り替え方も、ためになった。

SNSの話多いな、と思ったが其れもヤンデル先生の日常なのだ。
Twitterについて「発信用のツール」じゃなく「同期するツール」「呼応するツール」と仰るのが面白い。
自分は何等かのトリガーによって呟いたりRTしたりイイネしたりしているもので「なるほど」と。

あと面白いと思った話。
人体を構成する多くのモノに、いっぺんにアプローチすることでしか、体をよい方向にメンテナンスすることはできない。
その”いっぺんにアプローチする”方法・・・「運動」「睡眠」「自分の気持ちをよく保ってくれる趣味」。
とすると、数多の文化活動ってのは「健康で文化的な生活」の為、生きてくのに必要なんだな。
(勿論、スポーツだってそうだ。誰かが「健康で文化的な生活」送る為に必要なんだろう。)
閑話休題
何か1つ摂取するor実行する、それで健康よい生活!とはならないそうである。
医療も併せ技なんだって。
色んな物事に触れ、知っていくのは大事なんだな。
経験を重ねて照らし合わせて、向きを変えながら進んでいく、という考え方・物の見方が必要とされているのかも、だ。
どうしても自分の言いたい事を言いたいし気に食わない事は見たくないんで難しいなー、せめてヤンデル先生の文章やツイに触れる時に「ああ、そういう見方もあるんやね」と此の事を思い出して、必要に応じて改めていけたら。