社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

実話 怪奇譚

親戚から貰ったねぎが力強そうなんで、切ったペットボトルに水張って根元突っ込んで水栽培始めてみた。
順調に伸び始めている。
成長中からねぎのあのにおいするんやね。。。

「実話 怪奇譚」(蜂巣敦ちくま文庫)読んだ。

実話 怪奇譚 (ちくま文庫)

実話 怪奇譚 (ちくま文庫)

怪奇小説論・・・と思いきや古今東西実在した事件の割とゲスゲスしたリポートとフィクション作品やら何やら様様な怪奇猟奇が陳列されている。
見世物小屋みたく「ほらほらおどろおどろしいだろう」と取り上げる訳でもない、その代わり其れらを纏めて分析したり論じたりはしない。
敢えてそうしてるんだろうなぁ。
もうちょっと突っ込まないんだろうか?とは思った。
ファイリングされて棚に整列しているモノを「ああその事件/作品ですか」と取り出して説明する、偶に気持ちが入ってしまって「ある条件にさえ当てはまれば犯人は社会復帰出来る」「殺され損」とか零してしまうような感じがする。
少年犯罪とか、ほんまそうだよな。
但し怪談は無い。
ちくま感あんまり無い、太田出版とかあすこらへんぽい・・・と思ったら色んな媒体に書かれた文章を集めた一冊のようである。

群青のカノン 航空自衛隊航空中央音楽隊ノート2

日向坂文庫(omni7限定でSKE文庫もあるな)ってどうなん。
本を手にする人、買う人が増えたらええんかな。
前にやってた時は男子高校生が何人か見ながらきゃっきゃしてはったけど。
著者とメンバーがOK出してるんだったら、いいか。
フェア展開されてる壁面一色に染まってる。
ただ元の表紙が変わっちゃうので、ちょっとモヤる。その本の為に作られた表紙デザインが変わっちゃうのは。
其れを言い出すと新潮文庫の夏のアレはどうなんだ、角川のかまわぬコラボはどうなんだ、ってなるのか。
かまわぬコラボは内容に沿った柄になってる。

・・・とかモヤってる癖に1冊買っている。
図書カードが欲しいのだ。

「群青のカノン 航空自衛隊航空中央音楽隊ノート2」(福田和代/光文社文庫)読んだ。

航空自衛隊音楽隊の女性隊員の”音楽青春ミステリー”。
ミステリー以上に人間関係・・・恋愛要素盛り盛り。
高校の同級生の隊員が主人公の事が大好きなんだけど、気持ちを打ち明けられない。
というか主人公だけが気づいてない、他のみんな気づいてるのに。
それがまた話をややこしくしてるんだなぁ。
謎部分は人が死なない、不幸にならない。
ここんとこ色んな方向にしんどい系の本読むのが続いていたので、このゆるーいふんわりした雰囲気が丁度よかった。
福田さん、こんな軽妙でゆるい作品をお書きになるのか、とびつくりである。
「その花で花束作るん?*1」とかツッコミ所はややあるが、面白いので良し。
ただただそのギャップにびつくりしかない。

ゆるっとした謎とばりばりラブコメ好きな方は是非。
(すれ違いラブコメかつ女子達可愛らしいんで栄純好きそうだなーと思った)
ワテは・・・ううむ。
松尾や沖縄の女子達みたいなタイプが苦手なもんで。
このシリーズで1と3があるようだが、読むかどうかは悩むところである。

どうでもいいニュース:
「ナンバーワン・カレー」は怒髪天かよッ!と思ったら正に怒髪天だった。
じゃあ豚肉3種混ぜなきゃですね、玉ねぎは炒める分と具と。(当時HPで紹介されてたシミさんのカレーの特徴がそうだった)
それはさておき、あの歌で”母ちゃん”を嫁と受け取るか・・・色んな解釈があって面白い。

*1:どんな花なんだろ、と検索してちょっとびつくりした

夜更けの

昨夜、「そろそろ寝よけ」と思いながら「マツコ会議」ぼんやり見てる時のニュース速報、同じくぼんやり見てたTwitterの友人のツイどちらで先に知ったか。
福島県震源地震である。
大阪も揺れたそうだ(「大阪で地震が、と思ったら」という感じだったらしい)、震度示した日本地図は北海道から画面きわきわ兵庫県らへんが見えてるかどうかという所まで。
岡山や広島でも観測されたとか、何なら大分が揺れたという話も見た。
厭やなぁ。
こんな夜更けに地震かよ。
真っ先に津波の心配をしたが、大丈夫そうだった。
Twitterで東北・関東の友人達の状況を見る。大丈夫そうだが心配である。
3/11が近いし備えてはるとは思うが。

東日本大震災を思い出す一方、自分は阪神淡路大震災を思い出していた。
その前の年末に青森で地震があって、「大変やな・・・」と思ってたら翌年、である。
東日本大震災の余震まだまだ続くのか、で終わっちゃいかんのだ。
こちらでも発生するかもしれない。
靴下履いて、部屋干ししていた洗濯物を下ろして「寝てる間に布団の上に落ちてくるものは無いな」「お布団から手の届く所に眼鏡とスマホはあるな」と確認して寝た。
阪神間在住の方もお風呂に水張ったり万一の際に逃げられるよう外に出られる服装で寝たりしているという話を見た。
Twitterには地震あった時の対処・注意すべき事、改めて非常時に備えをしようという話が流れていた。

しかし揺れて「震度4?3かと思った」的なやつ、何処の人もやるんだな。。。

今日のエイエイオーッ!!

今日は医者ちょいと混んでるかなーと思ったが、だいたいいつも通りであった。
春節南京町は空いてるもののそこそこ人出はあった。
裏道抜けてランチ。


その後財布の中身が「中学生でもそれはないわ」状態でお茶のお店には寄らずドラム叩きに行ってきた。
知れば知るほど、やればやるほど難しくなるのは何故だろう、と「シンフォニア」少し叩いて考える。
1時間の大半は「初めての呼吸で」に費やす。
キックちゃんと踏めなくて走るようである。何故。
そして爪先ふるふる。何かうまくいってないんだろうけど、何だろう。。。

お稽古の方はというと。
ガチ3連だと思ったらそうではなかった。難しく考えすぎていたようだ。
最後の「エイエイオーッ」でちょい長めに伸ばすとこは小節1個追加したが、実際はかっちり小節1個分無いのかもしれない。
引き続き後奏へ。
イントロまるっと持ってくるが、ギターがちょっと違うので直す。
最後の武田ギターだけ上がってくとこ、演ってて気持ち盛り上がるな!
・・・と盛り上がったところで終了。
ジャーン!だけ残った。
ベッド・インのサポートしはるんでHEREと相まみえる事になった等レルレ氏の話めっちゃしてたんで、今日くしゃみしてはったかもしれんな。

それにしても長い闘い(?)であった。
次はスコアのある曲にする。9mmの「Endless Game」にしよう。
それはそれで涙目になるような・・・。

次回→ドラム足して最後のジャーン、イントロと後奏の武田ギターはオクターバ掛けよう

津波の霊たち 3・11 死と生の物語

津波の霊たち 3・11 死と生の物語」(リチャード・ロイド・パリ―、濱野大道・訳/ハヤカワ文庫NF)読んだ。

まーた東北の文化がどうたらこうたら言いながら震災の話するんだろと思ってたら、日本在住の英国人ジャーナリストが大川小学校での津波の件(粗筋には”事故”とありますが)や被災者のケアを行う僧侶を丹念に取材し、当時何が起こったのかを書き上げつつ日本人の性質や政府への批判をチクチクぐさぐさ刺していくルポタージュである。
後世に残されるべき本である。
ただ人には勧められない、記憶が強くある方なら尚更。
読むのがただただつらい。
此処に書かれているのはほんの一部の、大きくて重大な真実。
違う人が話を聞き、書いたらまた違うのかもしれない。
でも変に脚色するような人ではなく、気持ちを寄せつつ客観視出来る人でよかった。

生き残った教師、唯一の大人の話も書かれているけれど、これが真実ではなかったようである。
酷い。
酷いんだけど、あの時あの場所に居なかった人間には何も言えない。
非常時に何処まで冷静に行動出来るのか。
真実は語れないんだと思う、それは隠蔽しようとかそういう類ではなく。思い出すとぶっ壊れそう。
だが子供達の家族には到底受け入れられない、違う悲しみ、苦しみと闘ってきた方達だ。
子供達が見つかる、又は何があったのかが解ればまだ”気持ちの遣り場”がある。
章題に「真実がなんの役に立つ?」とあるが、そういう事なんじゃないか、と。
教師を守る為だとしても、真実隠しちゃいかんだろ、責任誤魔化しちゃいかんだろ。
そこで教師の分責任負うのが校長や教育委員会じゃないのだろうか。
子供達が何時、どのような姿で見つかったか(見つからないままか)が違うし、ご家族だって人間だって考え方だって一人一人違うのだから、分断があっても其れは本当にどうしようもない。
(あと我慢強い東北の方の気質について触れて論じておられる個所があるが、それは東北という土地柄云々だけじゃないと思う。)
その一つ一つをどれだけ受け止めていけるんだろう。
こういう文献・書籍として書き残す人、追悼行脚や傾聴で心を支えてこられる人がその一助となれば。
(こうやって読んだり話聞いたりして”知る”のが、更に何らかの形で一助になるだろうか・・・甘いか)

被災者のケアを行う僧侶の方の話はまた別なのでは?と思ったが、”気持ちの遣り場”という観点では通じるものがあるのか。
オーバーラップするように書かれている。

「(中略)幽霊を見たと話していますが、実際には家庭でのトラブルのことを話しているんですよ」(p.371)

というのも、”気持ちの遣り場”なんだろう。
直接ぶつけられない気持ちを違う形にして吐き出す、受け止める。
しかし水に関係しているとはいえ直接震災とは関係ない方が憑依というのも大変だな・・・何でまた。