社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

ゆれる

キングオージャーの主題歌歌ってるん、THE PINBALLSの人やん。
数年後の戦隊モノの主題歌を尾形ロックスターが歌ってたらいいなぁ、息子さんが観る位の年齢じゃろ。

「ゆれる」(TK/KADOKAWA)読んだ。

凛として時雨のTKのエッセイ。
本のクレジットは「TK from 凛として時雨」じゃないんだな。
“読ませる”文章書く人である。

「なかなか本を読めない人」とは意外な。
言葉の感覚が鋭過ぎるんだろうか。
タイトルの付け方も独特だし。
「i'mperfect」って面白いなぁと思ってたけど、此れだってダブルミーニングなようにも見えるし、でもちょっと違うような気もする。
音楽を聴く時も歌詞に共感するより、「音の響きで好きな曲を選別していた」(p.117)そうである。
音そのものを追求する人が曲を作る時の心境なんで普段知る事が出来ない。
インタビューはどうしても歌詞やレコーディング時の話、コアな話になるとしたら手段や機材の話になりがちである。
頭の中にあるものを形にする、というのとも違うようである。(そういう曲もあるのかもしれないが)
世界の見え方が違うなぁと思った。
そういうのを言語化して読ませて頂いて有難い。

次々と書かれるエピソードから立ち上るTKという風景。
鮮やかな灰色。
「僕は壊れる寸前の透き通った音が好きだ。美しさと狂気のちょうど間にあるその透き通った音を常に探している。」(p.143)、ああ此れだ自分が好きな音は。
ブレないというか、良くも悪くも変わらないのは其処が一貫しているからなんだろう。
時雨、TKソロの秘密というか、音の理由が解る本である。
もしかしたら言葉についても同じく、なのかも。
他の人には解らないけど、TKが探している音と同じ要素を持つ言葉を歌詞に使ってるのかなぁ、と。

SMAPに楽曲提供した話が印象深かった。
そんなに衝撃だったのか。
当時ラジオで聴いて「SMAPSMAPなんだけど、TKさはばりばりある」と思ったような。
逆にTKの曲を歌いこなすSMAPすげーって。
ちょっと脱線するけど「水星の魔女」の2期エンディングでアイナ・ジ・エンドがTK提供曲歌ってるやん、アイナって凄く”己の歌”を歌う人だろうにTKに吞まれてる気がする。
TKが歌った方が早そうな位。
閑話休題
「僕は歌うべき人間ではない」と仰るけど、時雨やソロで描く世界ってのはTKにしか歌えないし、TKが歌わないと其の音の姿にならない。
ソロ活動の理由は少し知っていたけれど、其れはもうソロで描くしか無いんだな。

途中、ちょっと9mmとバクホンの名前が出てくる。
TKからはそんな風に見えていたのか。

余談:
TK、時雨でもコンペで競るのか・・・ああまで一つの音楽を追求・確立してるなら、最初からTKである事、時雨である事を求めてオファーしてるんだと思ってた。