社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

うたうおばけ

「トラペジウム」、映画版はどの位改変入ってるんだろう。
暑苦しい位の情熱的な感想を拝読していると、自分が以前読んだ原作と同じ作品とは思えない。

「うたうおばけ」(くどうれいん/講談社文庫)読んだ。

前から気になってたんでtoi booksで買おうと思ったが見送り、後に講談社文庫フェアのポーチ目当てに購入。
フェアのポーチいいよ、ビニールでジッパー付きってワシ向けやん。。。

エッセイの筈である、しかし掌編小説と言われても「だよなぁ」と思ってしまうだろう。
自分も「友達」少ないし大きな輪の中で(なーにが友達だよ)と思っているタイプだ。
だけどくどうさんと仲良くなれるかは微妙な気がする・・・宗派が違うっぽい。
だいたい自分は「(笑)」使うし。「www」って草生やされるより遥かにマシである。
「。。。」も使う、其れでしか表現出来ない微妙な感覚があるから。「・・・。」じゃ駄目なのよ。
というか、自分から見たらくどうさんって「友達」もとい「ともだち」が多くいらっしゃるように見える。
少数精鋭って感じの。
「思う存分ひとり占めしてくださいね」っていう贈り物が素敵だ。
贈り方も手紙も添え方も全てが絶妙、厭にならない程度に寄り添ってはる。
本人の居ない所でエリマキトカゲに喩えた事を詫びられたい(其れを「ええよ」って言いたい)、身長高い人と仲良くなって「コーギー元気ですか?」「相変わらず脚短いよ」とかウィットに富んだ会話を生身でしたいよ。
残念ながらうちには”うたうおばけ”は居ないよ。

そんな感じで感情移入出来そうで出来ない、だからこそフィクション的に読めるんだろうし、モヤモヤ含むけど或る意味めっちゃ心動かされてる。
文芸、特に短歌をずっとやってこられた方なので観察眼も受容するアンテナも鋭いんだと思う。
自分の友人知人其の他も素敵な人達だ、だけど其の優しさに自分は気付けていない。
気付けないまま「みんななんでわたしの好きなもの解るんだろうーすごいなーありがたいなー」って思っちゃう。
其の事に気付かされてしまい、なんだか情けなくなってきた。

「パソコンのひと」でパソコンの不調を改善しに人が来てくれたけど直らなかった、其の時の一言「おまじないにしかなりませんでしたね」って上手いなぁ。
システムの人が言いそうな一言ではある。

どうでもいいニュース:
星耕硝子気になって見てみた。
「四角花器 (細長)」欲しい。