社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

新装版 戦中派不戦日記

何がどうなっても、其の時代に生まれたからには生きていくしかないのだな。

「新装版 戦中派不戦日記」(山田風太郎講談社文庫)読んだ。

複数の出版社から文庫が出ているが、小学館だと其の前後の日記も全部文庫化しているようである。
前から一度読まねばと思っているところに講談社文庫のフェアに入っていたので買っていた。
で、「山田風太郎展」(→感想はこちら)観に行くので、行く週から読み始めた。
観に行った頃は終戦した辺りだったか。
なので展示の前半が凄く刺さったし、終戦以降を読んでいて「あああの時の」となった。
あとがき・解説に目を通してから読み始めた方が良いかもしれない。

医学校に入学しようとしている頃に召集令状が来て一旦帰郷したが、徴兵検査で”即日帰郷”となり東京に戻り、医学校の学生となった。
「不戦日記」は医学生の山田青年による昭和20年の記録である。
まえがきに「ただ戦記や外交記録などに較べれば、一般民衆側の記録は、あるようで意外に少ない」(p.4)とある。
体験として後から語られているもの、後世に伝える為に物語として編まれたものは読んだ事があるが、一人の人間の通した記録というのは確かにあまり目にしなかったような気がする。
戦地に居る方ではないからこそ残せる記録。
刻刻と変わってゆく生活、御本人や周りの方の考え、物の見方。
国力の差を見抜いてる人や信用出来ない報道を差し引いて見ている人はいらっしゃったようだ。
体験した事、見た事がほぼリアルタイムで綴られている。
いずれ軍医として最前線に送り出される人材の教育の為とはいえ、空襲があっても授業・試験は行われていた事に驚いた。
そして学校ごと長野に疎開し、終戦を迎えた。
そんな最中でも山田青年は本を読む。

徐々に無くなる物資。
今のウクライナ等を思い出して「ああ」と思う。
ソ連について考察されている箇所があったが、今のロシアに対してもあんまり変わらないのかもしれない。
焼け跡で「また、きっといいこともあるよ」(p.111)と仰っていた方があった。
「また、きっと、いいことがあると、もう信じようとしている。人間は生きてゆく。命の絶えるまで、望みの灯を見つめている。」(p.111)とある。
人間の強さの表れでもあり、「そう考えないと耐えられない」という事なのかもしれないと思った。

終戦直前直後の混乱・戸惑いも。
信じてきたモノが一旦無くなってしまったのだ。
「いまだすべてを信せず。」(p.680)
でも混乱しながらも冷静に見つめてはるんやな。

今の自分には此れ以上の感想が書けない。
(うっかり此のエントリ見た、見ず知らずの人にめっちゃムカつかれてるのかもな)
なので、現物を読んで欲しい。
今だから読まれるべき日記である。

其れにしても、よく此れら日記が残っていたものだと思う。
空襲で焼け出され、住んでいた家も何もかも無くなってしまった中で。