社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

いざなぎ流 祭文と儀礼 増補

「いざなぎ流 祭文と儀礼 増補」(斎藤英喜/法蔵館文庫)読んだ。

確か小松先生の「神々の精神史」、宮田先生の「江戸のはやり神」を買いに行った筈である。
民俗学の棚の前迄行った、玄人向けやんなと思った。
・・・気づいたらこちらを手にレジへ。
どうして。
法蔵館、めっちゃ民俗学理論社会学系も充実してる。

著者は実際に現地で太夫の方について教わり、祭文を読み解きながら、いざなぎ流について考察していく。
某なんだこれミステリーで「現代の呪術が!」みたいな紹介のされ方をしていた*1が、そんな解りやすいものではなかった。
読んでいて、ただただ圧倒されるばかりである。
印象変わるよ。
形ではなく本質を追っていく感じ。
解説される祭文はまるで神話を読んでいるよう・・・と思ったら、そういう解釈が成されていた。
鍛冶の道具が鎮めの呪法へと転化(p.383)、という話でほおおおってなった。
コトバによって神を操る、コトバの魔術師(p.421)、成程。

善悪を越えた、別の次元にあるんかな。
病等の人間ではどうしようもない困り事を取り除けない時に、其処から「力」をお借りして解決を図るのだろうか、と考えた。
鍛冶で剣を鍛え上げるようにコトバを研ぎ澄まして神様を駆使し、病魔を打ち払っていく、良くないモノは一旦”取り分け”て”あるべき所”へ返していく。
そんな風に考えたけど解釈としてどうだろうか。
自信は無い。

取り上げられている内容が全てではないのだろうけども。もっとコアな話もあるのでしょうけども。
何にせよ、コトバやモノを使ってほい!解決!なんて甘っちょろいもんではないんである。
解ってるけど、人間そういう安易なモノに頼りがちじゃん。
変なスピとかさ。

いざなぎ流自体についての考察以外に、調査対象と研究者の関係、有り様についても考察されている。
現場に飛び込んで実際に教わる事で詳しく知る、触れる事が出来るが、一方で客観性が保証されない。
プライバシーに関わる場には立ち会えないし。
「リアル」を何処迄理解出来るのか。

ところで、此の本では祭文・法文の内容からいざなぎ流に迫っていくが、コトバだけじゃなく声、出し方や高低にも意味があるんだろうか。
力を十二分に発揮するような発し方があって、お弟子さんは師匠である太夫さんからコトバやお作法以外にそういうのも教わっていかれるのだろうか。

先にこちらを読んでおいてよかった。
sociologicls.hatenadiary.jp

*1:此の時、解説されていたのが此の本の著者との事