社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

台風来るけど至急の作業ある上に来週の月曜は休暇取るので、どうにか明日も出勤しなければならない。
なんで人が休暇取る時に急ぎの仕事ぶっ込んで来るんだ・・・。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」読んだ。
以降地味なネタバレあると思われる。

ブレードランナー」観たいが何となく観に行くのもDVD借りてくるのも気力湧かなくて、此れを読む事にしたんだった。(確かこの時
勿論映画とは別物であるとは理解している。雰囲気が味わえたらなぁ、と。
うーむ、よく解らない。
読み終わってから検索して何処まで把握出来てたのか確認してみたら、だいたい合ってたからいいのか。

主人公デッカードは逃亡したアンドロイドを処理するバウンティ・ハンター。処理すれば懸賞金が手に入る。
その懸賞金で人工ではない、生きている動物を買おうとしている。
次の標的は”ネクサス6型脳ユニット”を搭載した、まー最新型のアンドロイド。
今迄のアンドロイドかどうか判断する検査法は適用できるのか?
一方、崩壊一歩前のビルに住むのは”特殊者”イジドア、ざっくり言えば人間扱いされない。
イジドアが出会ったのが・・・逃亡したアンドロイドである。
はてさてどうなる。
読む側が「もしかして?」と思うのも作者の作戦、デッカードが「自分は人間なのか?造られた記憶を搭載されたアンドロイドなのか?」と自問自答するうちに暴走、ラスボスはアンドロイド開発企業・・・とか色々考えたが、そこまでややこしい話ではなかった。

検査法自体より、その結果をどう判断するか?というのは人間だから出来る事なような気がする。
アンドロイド側は追うデッカード側こそアンドロイドじゃね?と逆に追い込む、其れを回避するのも人間だから・・・かな。
人間とアンドロイドの違いを”感情移入するか否か”だとすると、実は曖昧なのかもしれない。
書かれた頃だったらそれで判断出来たのかもしれない、でも2019年の今読むと感情移入に近い挙動をさせる事は出来るのかもなあ。
この物語の世界が進めば感情移入しない人間、感情移入するアンドロイドも現れてきそうだ。
(レイチェルを進化させたら、可能そうな気もする。最後に山羊殺して去る動機付けは感情から来てるようなもんかもしんない、と思う。)
アンドロイドが電気羊の夢を見ちゃうのかも、人工知能デフラグ的に。
厳密に人間が見る夢じゃないんだとしても、”夢”という言葉で定義出来てしまうのかも。
尤も、感情移入しない人間はアンドロイドと判断されて其れ相応の扱いを受けるのかもしれないが・・・。

人間の感情を調整できる機械は便利そうだ。いよいよアンドロイドに近づくのだとしても。