書道パフォーマンスって自己満足と紙一重だよなぁ、とTVで観ていてふと思った。
其れを言い出したら、大半の芸術がそうなんだけども。
観てたやつ、ダンスは分からないが書き上がった作品が寄せ書きみたいにとっちらかってて、書道としてどうなんだろうな?と。
あと「日本のこわい話」的な本でも読んでたと思う。
「雨月物語」其れ自体をちゃんと読むのは初めてである。
漢文のルビ、文章が読みやすいし原文も伝わりやすくて流石である。
未だ読めてないけど小泉八雲の「怪談」も訳されていた円城さんだから「雨月物語」も手掛けはるわなぁと思っていたが、御自身の作品で「言葉」自体を自由に取り扱い、”日本語の言葉の有り様”というものを見据えて書ける方だからこその面白さ、文章の活かし方があるのだと思った。
変化途中の日本語、という観点での「雨月物語」。