社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

べらぼうくん

音人の卓郎インタビューを読みながら、客観性について考える。

「べらぼうくん」(万城目学/文春文庫)読んだ。

万城目さんの浪人・大学入学から就職、そして作家になる迄のエッセイ。
あまりに近すぎるオウムの話にひゃーっとなり、宇治原エピにウケる。
大学入学が万城目さんと同じ頃だったんで、大学は違えど自分が入学した時にオリエンテーションで注意呼びかけあったなぁ、と思い出す。
幸×何某もあった、文化祭で何かやってた。
閑話休題
「この大学の学生はとても真面目である」って成程なー、でもちょっと意外。
自分の知る京大出身者は確かに真面目だが、世間的な「真面目」とは質や次元が違うもので。
勉強だろうが仕事だろうが趣味だろうが、ものっそい探求心があって、プラスああいう頭の回転力と好奇心が天才には必要なんだなぁ、と。
学部の違いかな(法学部ではなかった)。

万城目さんの就職先の選び方は実はとても堅実だろうと思う、自分の時に知りたかった。
「自分探し」は所謂就活でよく見かけたような気がする。
本屋のバイトの時にも見た。そういう時代だったのか。
富士フイルムは惜しい事したな。。。
先見の明のある学生が面接で「こうすれば新しい需要を開拓できる」ってアピールするの、今だったら重宝がられそうな気はする。
そういうの見抜くのは難しいのだろうと思うが。

「他人の楽しみとなるものが小説家だ。」(p.187)
成程。
独りよがりに突き動かされて小説を書き始めるが、独りよがりを燃やし尽くし、すっからかんになっても書きたいもの。
其れが今の万城目さんの作品、特に後半のパワーの強さの秘訣って、そうだったのか。

万城目さんの客観視する力、凄いな。
一筋縄ではいかない人生、回り道なようで、べらぼうなようで、実は一番真っ直ぐに歩んでいってはるんは、其の客観性だと思う。
己のモニタリングをした上で解析。

どうでもいいニュース:
山寺さん、「鹿男あをによし」の鹿だったのか!
(って、ドラマ観てないが)