社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

溜め過ぎない

セーターの毛玉取りながら断捨離。
マニヘブvol.1の帰りに新宿で買ったセーター、くたくたになってきているが未だに着られる。
着られるだけじゃなくてまだまだあったかくて、くそ寒い日には着ている。
お高いセーターすごい。
椎名林檎がROJの撮影の時に着てたやつ!」って思い切って買ってよかった。
服代はケチらず、ちょっとええやつ/お高いやつを大事に大事に着るべきだろうか。

・ROCKIN' ON JAPANとギターマガジン続き
尾崎清水対談で「なんだかんだエレキギターじゃないと表現できない心の揺れが絶対あるから」で歌謡曲の“泣きのギター”を思い出した。
日本で他の国ほどバンドが廃れないのは、歌謡曲でギターに馴染んでるからなのかもしんない。
ポップスに普通にギターが居た、ベースもドラムもキーボードも居た、何ならホーンセクションやストリングスも居た。
そういうの聴いて育ってきた人や、其の影響受けた人がまだまだ居るのだ。
とはいえ長いギターソロは飛ばされるらしいが。。。
たまにはフジのライブで山内の分単位のソロ聴きたい、聴いてぽかーんとなりたいもんである。
鬼滅の刃吾峠呼世晴ジャンプコミックス
やっと6巻まで読んだ。
ヒノカミ神楽は見開きバーン!だと思っていた。
他にもアニメでじっくり触れられている所がが原作だと割とあっさりしてるんだなー、或いは其の逆、と発見があって面白い。
改めてコミックスで読むと、シリアスとギャグのバランスが絶妙である。
トホホな顔とか。
・怪と幽 vol.010
呪術入門特集なのは、某話題の漫画に便乗したそうである。
個人的には「怪と幽でやらいでか!」である。
小松先生に荒俣さん加門さんな上、更に郷内さんってガチ勢大集合やん!
・・・だがマイルドである。
今一度「呪術とは何か」と根本をおさらいする事で、うっかり安易にやっちゃわないように・・・という事なんだろうか。
「呪術廻戦」や「鬼滅の刃」との絡み(あれは此処に準拠していると思われる等)があれば、と思ったが小松先生が触れてらっしゃるな。
負の感情を内に溜め込まず表出させるのが呪いだが、かつて行われていた方法が通じない代わりに登場した新たな方法。
呪術は治癒であり解毒・・・なるほど。
文化人類学の授業で「呪いは『掛けられた』相手が認識する事で成立」みたいな話を聞いていたが、小松先生のお話だと負の感情を出してしまうという意味では呪った時点で気が済むのだそうだ。
荒俣さんの話に「承久の乱は祈祷合戦だった」とあったのもおおーって感じである。
鎌倉時代もゴリゴリに呪術やっててんなぁ。
貴志祐介こっくりさん」の「立ち止まっても、未来はない。俺たちは、前に進むしかないんだ」ってかっこええ!
けどやってるのはこっくりさんの闇バージョン。
胸糞悪くはなかった。
濱地健三郎の事件簿シリーズは新コロの取り込みが見事だなぁと感心していた。
暈さず嘘臭くせず、リアルなんだけど現実に刺さり過ぎない。

GWはセーター洗って毛玉取って雑誌と怪談と「怪と幽」読んでおりましたとさ。
「怪と幽」は「丸善ジュンク堂に住んでみる2022春エア開催 」に引っ掛けて読んでいた。
もっと読んでたと思った・・・んだが、某インターネッツ見てたら時間溶けてしまった。