社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

真我~Singer 二井原実 自伝

ネルノダ、やばいな。
あれキメた翌日の目覚めがスッキリ過ぎて快感ですらある。
もうぱっかーん!て感じで。
あの快感味わいたくて常用しそうである。

「真我~Singer 二井原実 自伝」(二井原実リットーミュージック)読んだ。

ちょっと前にお師匠さんから教えて頂いていたやつ。
「二井原さん最初はベース弾いててんで」「まじっすか」ってな話をしたとこだ。
面白いですよ。
人様の人生を「面白い」と言うのも語弊あるかもだが。

世界的なバンドだから、初っ端からすごい。
樋口さんの所に居候しながら芸能人としての立ち居振る舞いを叩き込まれる。
上京したら事務所潰れたなんて事にはならない。
二井原さんの前には天ぷら落ちてない、拾い食いしない。したら樋口さんに怒られてそうだが。
勿論、LOUDNESSも始動しようとしている。
レコード会社にも「高崎さんのソロプロジェクトにしたい」という思惑はあったようだが、バンドの音で説得、捻じ伏せるような形だったようである。
すごい。
脱退の経緯も凄い・・・「違う人とやってみたい」で脱退て。
だからこそ再加入して続いていけるのかもしんない。
樋口さんの後継で入られた方は元々LOUDNESSが好きで音楽に目覚めた方なのだそうだ(此れはググって知った)、此れまた凄い。
長く続いてるバンドだから実現したんだろうなぁ。

で、こういう先駆者がいらっしゃって、日本のロックは進化していったんだろうなぁ、と。
爆音のバンドで歌う、という事自体無かった。
もしかしたら日本のどっかにはおったんかもしれん、ただメジャーシーンにはいらっしゃらなかったようだ。
爆音の中で歌うというのは過酷な事、音がでかすぎて音程が取りづらいのでは?とモニターも二井原さん用に用意されたそうである。
LOUDNESSが居て、開拓してはらへんかったら、今のバンドが爆音でライブ出来ひんかったんかもしれん。
隣の県から苦情がくるレベルでは、もうライブ出来ないと思うけど・・・。
ギター、ベース、ドラムでもそういうのがあったんかもしれない。
その一方で海外ではPA環境整ってないところもあり、逆にボーカルのモニターの無いとこでもライブやってはったそうだ。

柔軟だから生き残れたのか、誰もまだ体験した事のなかったような経験をし、乗り越えて生き残ったから柔軟になれたのか。

先駆者という事であれば、其れはLOUDNESSに限らなかったんだろう。
最初のEARTHSHAKERが対バンしてたという山水館、シェラザード、ノイズ等等も、きっとそうだ。
彼らが居てはらへんかったら、日本のロックはどうなってたんだろうね。。。

どうでもいいニュース:
LOUDNESSは二井原さん脱退後のボーカルの時代の1曲だけ知っている。パワーステーションかスペシャでMV何回も観た。
樋口さんのドラムかっけえなあ、って。
樋口さんは松本孝弘「THOUSAND WAVE」の収録曲(タイトル忘れた)だっただろうか。