社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

近代日本の「手芸」とジェンダー

そろそろアクセサリー作り復活しよう・・・と思ってから幾歳月。
”作る”のが楽しいので専念したいが、はてさて。

「近代日本の『手芸』とジェンダー」(山崎明子/世織書房)読んだ。

手芸というと何となくぼんやりと”女性がやる縫い物とか細工物とか”と思っていたが、明治の女子教育を確立していく中で其其の階級に合わせて推し進められてきたものらしい。
労働でもあり、女性の”麗しい心ばへ”のため・・・自らを大切にし、貞節になり、思いやりのある女性となるように、と。
使用人を雇う側の女性なら下層の女性達の労働を知る事で雇う者として恥ずかしくない徳を身につけるとか、家計の補助収入ともなるしそんな必要のない階層であれば慈善活動に・・・とか。

で、更に時代が進むと機能性のみならず装飾性を求めるようになる。
家庭婦人の趣味、教養であり、商品ではなく家族が使用するもの。
そういうのは学校教育、雑誌、展覧会等で奨励されてきた。

という事は、手芸は階層に応じた女子教育の一環として推し進められ、家計の足しにはなるかもしれないが実益がメインではないという事。
情操教育とかそういう感じ?
女子の嗜み的な扱いだったんだろうとは思っていたが、結構システマティックに推し進められていたんだなぁ。
もっと「生地を丈夫にするのだったら、見た目にも美しく、縫う人も楽しくしよう」みたいな感じで各地で進化していったんだと思っていた。
国家として進めていく一方でそういう流れもあったんだろうか、と想像してみる。

ところで、此の本が出たのは2005年。
今の所謂”ハンクラ”については、著者はどう分析されるだろうか。
服や家具があるので“手芸”ではないかもだが。
手芸作品を売買する場所(サービス)が出来て作家としての自己実現が出来るようになった、一方で「利益を考えて値付けせよ」という考えも。
中にはがめついやり方で雑な作品売って炎上した人もあったような・・・。
明治女子教育としての手芸を推し進めてきた下田歌子氏は「美を奪い去られた女子は、資材を奪われた人の如く、自棄となり破廉恥になり、残忍な人となり」と仰っていたそうだが、発狂しはりそうやね・・・。