社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

禁忌習俗事典 タブーの民俗学手帳

昨日の梅田は人が多いものの、駅などは空いていてびつくり。
3時間だけ営業の店もあった。大変だ。
ホワイティの台湾餃子のお店でご飯食べて帰りたかったけど、まだもう少し我慢である。
締めて緩めて、を繰り返しながら生きていくしかないのだ。

「禁忌習俗事典 タブーの民俗学手帳」(柳田国男河出文庫)読んだ。

日本各地で”忌”とされる事柄の説明・解釈等がずらーっと書かれている。
色んな文化があるのだな、と面白い。興味深い。
迷信なだけではなく意味があって、「やってはいけない」を強調する為に”忌”として伝えたのもあるのかな。
お鍋の弦越しに物を盛るのはダメですよな”弦越し山越し”、最後まで勤め終せぬ”ゲタイ”とか。
禁忌じゃなくてもそんなはしたない事やっちゃいかんだろ、というのもあったし。
ゲタイは色々あるようだが、霊山の参詣に途中で歩けなくなるのは「肉親の忌その他不浄ある者が、押して参拝しようとする」と起こるそうで、”身を清める”事で前日は体休めておきなさいって事なのかな?と思った。
或いは喪の忌では日常と分ける為に普段と逆の事をする、なので日常生活でやってはダメですよ、とか。
行為が忌まれる→喪の忌で行われていた、と考えられるものもあるようだ。

何で出産が穢れなんだろう。
大事な子孫が産まれてくる、しかも命がけだし。尊いのでは?
・・・と思ったが、それ故に怖ろしく思われるのだろうか。
そこいらの人がわらわら来ても困る、とか。
生理はあのダバーが穢れのように思えるのだろうか。
そんで山や海の神様が・・・というのは男性だらけのとこに女性が居ると色々ややこしくなるから、というのもあるんだろうか。
何らかの臭いで獣や海の生物には人間が居ると解ってしまう、とか。
そういうのも含めて、”矢鱈めったら触れちゃいかんものごと”を”忌”として「気を遣いながら、そっとしておきなさい」としてるんかな、と思った。