社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

隣のずこずこ

ネット環境が一気に改善した。
よもやよもやだ!
ところで「よもやよもやだ!」って語感いいよね。

「隣のずこずこ」(柿村将彦/新潮文庫)読んだ。

隣のずこずこ(新潮文庫)

隣のずこずこ(新潮文庫)

村を焼き、村人を呑み込む権三郎狸と付き添いのお姉さんと女子中学生はじめの話。
ある日狸とあかりさんが村(今は町になっている)がやってくる。
旅館にいる2人に話を聞きに行くと、1か月後に村焼いて壊して村人は丸呑みにします、と言われる。
丸呑みにするのはやってきた最初の日に村に居た人。
はじめ達は昔話として祖父から聞いていたが、本当のようである。
言い伝えは本当だったんだ、という事で順応して特に何もしない人、ただ待つだけの人もあれば、逃げる人、やけくそになる人も。
抗う人は居ないのか・・・と思ったら意外な形で抗う人も。
ようこんなん思い付いたな。
信楽焼の狸みたいなんがずこずこやってきて村壊しますって、うすら寒くもありつつ、何となくユーモラスでもある。
ほんでまた、何でそんなオチなん。
面白いけど、ぷつっ、と切れる感じ。
打ち切られるジャンプ連載でも、もう少し話畳む感があるよなぁ、と。
別に広げた風呂敷は畳まなくて良い、良いけど風呂敷をくしゃくしゃにしたらいい、「これでええんですわ」と放ったらかしてもいい。
読む側だってどう解釈したって良いし。
でも、畳みませーん!ぐっしゃぐしゃでーす!この先は読者が想像してね!というナニカがあれば。
なんか”いいとこ””これからなとこ”で、もやん、と終わる感じがして。
なんもなく、ただ終わってしまって「あら?」ってのもな・・・。
お終いがそれでよいとしても、途中にもうちょっと色々あるんやと思っていた。
火をつけるにしても実行者のあれこれ背景が語られるとか。
やけくそになった人の事情・心情とか。すったもんだとか。
何でそんな個人の思ってる事をはじめが知ってるん?だとしても、最後ああなるのであれば納得するような気もする。素質あったんかな、と。
そこまで思い至らないのは中学生だからか。
これがたまたまGWに帰省していた大学生だったら、もうちょっと”範囲”が広かったのかなぁ。

まぁ、日常が終わる時って、そんなもんかも。
日々がぬるぬる続いて、あがく間も無くふつっ、と終わるんだろう。
だとしたらすごいリアリティのある物語である。
すごい。

代替わりはすると思ってた。
あかりさんに見込まれてたんかもなぁ。

どうでもいいニュース:
個人的に超絶すごいお名前だよなー、作者。