社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

コロナ禍日記

「わかって欲しい」にも限界はあって、「わかりたい」側だって完璧ではないのだ。

それとは全く関係なく。

「コロナ禍日記」(タバブックス)読んだ。

作家、バンドマン、写真家、漫画家・・・色んな人、立場での日記。住む土地も色々。
新代田FEVERの通販でこの本を買ったのだった。此処で買うとRRのコーヒーとボールペンもセットだからお得である。
フラカンブレンドバンアパブレンドも買ったが、これも新コロの所為らしい。非常に有難かったのだがあんまり喜べないな。。。)
読むのしんどいかも・・・と置いていたが、いい加減読まなあかんやろ、と。
5月中旬頃までの日記だが、随分前の出来事のようだ。
豪華客船の件、某前首相が呑気に「うちで踊ろう」動画上げたん、具体的に何時だったのか思い出せなかった。
「うちで踊ろう」に関しては触れた人が皆怒り過ぎて不可触状態なん、わろた。

冷静な人も、そうでない人も。
そうでない人のは読んでいてしんどかった。
気持ちをどーんと吐き出さずにいられないくらい、怒り混乱してはるという事なんだろう。
読んでるこちらも冷静ではない、慣れてきたようで未だに戸惑いも不安もあるし(寧ろ不安だらけだ)、日記の書き手の大変さを読み取ると同時に、こちらの精神も抉られるからしんどかったんだろうな・・・。
誰かの怒りに釣られる事はよくあるけど、逆にこちらの怒りが出せなくなる事もあるんやな、と思った。
でも、今読んで良かった。
怒っても金に困っても美しくても見苦しくても、生きていくしかないもんな。

霞食うだけじゃ生きられへんもんな。

福永信さんの日記の中に

「作っている」その瞬間は、わずかであっても日常が戻っているだろう。(P.320)

とあって「なるほど」と思った。
汚染・飛沫対策で自作してはる方々について書かれた中にあるのだが、あの頃必死こいてマスク作ったり、アマビエ描いたり、「うちで踊ろう」動画やSNSリレーが流行ったりしたのは、その作業をする瞬間だけ日常を取り戻していたからなのかもしれない。

皆さん今どうしてはるんやろ。
韓国ではしっかり追跡していたようだが、追いきれなくなったのは何時頃の話だったか。
(それでも7次まで追ったんだったか)
バンドやってるから出勤停止にされたんGEZANの人か。首とは非道い。

ところで十三月農園はどうなったんだろう。
こないだちょっとアレな話見かけたもんで。ガセだと良いが。。。