社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

ケーキの切れない非行少年たち

お天気ええのに洗濯物が乾かない。。。

「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治/新潮新書)読んだ。

非行少年にも色々あるだろうが反省以前の問題・・・簡単な計算が出来ないとか漢字が読めないとか。
簡単な図形を見て描き写す事も出来ない。
話題になってた「ケーキを3等分にしてください」と言われて「何でそうなる?」な切り方しちゃうやつとか。
(自分の取り分多くしちゃうもんねー、という話でもないようだ)
www.bookbang.jp
そもそも見聞きする力が弱くて認知がちゃんと出来ていない。歪んでいる。
すぐイライラする・・・というか不快感=イライラ、みたい。
軽度知的障害や境界知能に気づかれないまま生きてきて、逮捕されて少年鑑別所医療少年院で初めて判明するケースらしい。
そうなる前でも、教育相談なんかで相談ケースとして上がってくるとか。
とすると、何処まで見つけて貰えるのだろう。手を差し伸べられるのだろう。

”褒める教育”じゃなく”ありのままの自分を受け入れていく強さを身につける教育”が必要なのだそうだ。
適切な自己評価が出来て、自分の中の正しい規範と照らし合わせて行動出来る事。
今の教育には足りない事、ではそれを足してやれば”気づかれない子”は救われるし非行も減るだろう。
そこまで余裕があるのか、どうなのか。
認知機能を上げる事自体はそういうトレーニングがあるのだそうだ、そういうのを教育に取り込んでいけたらよいのだろうか。
何らかの障害がある子だけじゃなく、あんまりそういう傾向のない子にも良さそうである。
(そういえば幼稚園・小学校低学年向けドリルで点つなぎがあったけど、あれも認知機能アップの為だったんだろうか)

それにしても損なわれているのを気づかない/認めたくないから虐待するのか、虐待で脳が損なわれてこうなるのか。
”認めたくない親”の話はインターネッツにごろごろある。

しかし被害者たまったもんじゃないよな・・・と思ってしまった。
反省するかどうか以前の問題なんだもんな。
きっちりかっちり具体的に詰めて行って初めて自分のした事がわかる。(わかる、といってもどうわかるのだろうか・・・)
何らかの手が差し伸べられた加害者は更生して生きていけばよいが、被害者は取返しつかんもんな。特に対人の犯罪だと。

どうでもいいニュース:
この本に出てくる図形描き写すやつやってみた。
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ちゃんと出来てる筈・・・なんだけど、自分の認知が歪んでたら其れも確かめられない。