社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

落語家のもの覚え

「落語家のもの覚え」(立川談四楼ちくま文庫)読んだ。

落語家のもの覚え (ちくま文庫)

落語家のもの覚え (ちくま文庫)

談四楼さんの見習いから現在までを振り返りつつ、”もの覚え”について書かれた本。
確かに落語家さんはよく覚えておられる、でも“覚える”んじゃなく“自分”にしてるのでは・・・体に入るというやつか。
前座・二つ目・真打と上がっていくのにも意味があった。
前座はただ楽屋のお仕事をするのではない、仕事をする中でお作法や師匠・先輩達を知り、間を覚え、信頼関係を築く。
弟子入りした師匠以外からも教わるのは知らなかった。目上の方を「師匠」と呼ぶのはそれでか。
楽屋で顔を覚えて貰い、「家へいらっしゃい」と稽古を付けて貰うのだそうだ。
色んな師匠から学ぶ事が出来る。
二つ目に昇進すると、今度は自力でやっていかなければならない。
副業の司会業からも学んでおられる。
真打は・・・となるともっと広い視野で観られるようにならなきゃいけないし、後進に稽古をつけるようになる。
そして、「師匠に似ている事」があだになったそうだ。
最近「ホニャララに似てる」というのは褒め言葉か?という話題を見たが、ホニャララに似てるくらい完成度が高いという一方でホニャララと同じやん、被ってるやん・・・という事にもなってしまう。
真打になってもまだまだ学ぶ事はあるし、それは落語以外の所に沢山ある。
自分は落語家ではないが、そんな風に学べているだろうか。最近は堕落しっぱなし。

”もの覚え”については、「つまんない事を覚えてるくせに、肝心なことは忘れる」のだそうだ。
「集中して反復」だそうだが、そのやり方も色々あるようである。
耳・頭だけじゃなく体で、そのモノだけじゃなく周りのモノ、例えば稽古をつけて貰った時の環境も覚えるのが良さそうだ。
恐らくこの本を1回集中して読むだけでもそのコツは反復出来てそう、繰り返して読めばもっと反復出来るのでは。
どれだけ覚えられるかな・・・。

落語観たくなった。
TVで時たま、生ではむかーし米朝さん観たっきりだ。
面白いなぁと思ったのが、必要以上に声音を変える”八人芸”はよろしくないのだそうだ。
表面的ななりきり方になってしまうのだとか。
登場人物がどんな人で、どんな間取りで暮らしてるのか・・・まで頭に描いて噺をされるそうだ。

どうでもいいニュース:
落語家さんにもおっかけは居る、それが名誉にもなればプレッシャーにもなるとか。。。