社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

うつ病九段 プロが将棋を失くした一年間

朝きちんと起きられなくてねむねむ、目眩くるくるである。
真っ直ぐ歩けてるか定かではなかったが、歩いてるうちに治った。

希死念慮というものは実のところ今でもある。
その理由が10年前までとそれ以降とで違うから生きている。
万が一死にたくなっても、「誰でもよかった」てな輩や他人死なせてやる立場だといつまで考えてんの?いつ逆転するかわからん癖に、な輩に命を委ねたくはない。
まだやりたい事もいっぱいあるし。

うつ病九段 プロが将棋を失くした一年間」(先崎学/文春文庫)読んだ。

3月のライオン」の監修されてる方で、単行本にコラム載せておられたのを見なくなったな・・・と思ったら将棋連盟のごたごたがあってうつやってたんだな。
びつくりである。
こんなに自分でいつから、と分かる事もあるのか、と。
あっという間に転がり落ちる人なら何人か見た。それでもある日急に、ではなく「あ、やばい、どう声を掛けたらよいものか」と思ってるうちなんで日数掛かっている。
実際にはご自身が意識してない所で溜め込んでトリガー引いてどーん!だったんだろうが。
1年で復帰出来はったんは、しっかり十分休んで少しずつ復帰出来、弱っている時に「脳は必ず戻ります」と声をかけ続けてくれる方(精神科医のお兄さん)があったからだと思う。
うつ病患者というのは、本当に簡単に死んでしまうんだ。」と仰る位だから、兎に角死なせたくなかった、必ず治る・・・と手を尽くしておられた。
因みに心というより脳の病気なんだってね。ほんとに脳は不思議だ。
あと先崎さんがご自身のモニタリングに長けた方だから、なのかも。
特殊なような気もするが、「必ず治る、自己治癒力がある」というのは良い実例なのかもしれない。
(とはいえメンタルやっちゃってると「ああやって治る人もあるのに・・・」とより一層藻掻きそうなので、真っ最中の人とその身内は読まない方がよい、少し快復してから呼んだ方がよいかもしれない、とは思った。)
「うつの疲れは辛い」というのは知られてよいのでは。

自分の場合は周りにはどう見えていたんだろう。
正社員時代に正式(?)にメンタルのお医者さんに通うようになったんだが、通い始めた頃に「医者行ってから出勤しますね」と伝えたら「休め。兎に角休め」とは言われた事がある。表情やばかったんかな。。。
(休めと言われても家で休むのは不可能だったんで京都の龍安寺銀閣寺行ってぼんやりしてたような)
因みに自分の場合は「思考の癖から来てる」*1と解っているのでどうしようもないなー、アトピーみたく完治目指すんじゃなく一生付き合っていこう、と早いうちから割り切っている。
それはそれで当時の友人に「そんな事言わないで」と嘆かれた。

*1:あと親子関係な