社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないので、はてブボタンは設置してません。

里山奇談 めぐりゆく物語

本を読む意味〜とか見たが、本は読みたいから読む、あるから読むのであって、意味なんて後回しである。
意味が欲しけりゃ、それこそ「結果で帳尻」だ。
何処からでも学ぶ事はあるのだ。
そして書きたいから読んだ本の話を書く。

里山奇談 めぐりゆく物語」(coco、日高トモキチ、玉川数/角川文庫)読んだ。

体力的に山歩きが難しいが、物語が里山に連れて行ってくれる。
「存在するかしないかが曖昧なものって、認識することで実体化してしまうんじゃないか」(「歩く人」)「ふだん人間の縄張りじゃないところでは、人が理解できないことなんて普通におきてるのかもしれないよね」(「何かいる」)、自分もそう思う。
”よくわからないもの、現象”に名前を付ける事で定義して理解できるようにする、という話は今迄よく読んでいた。
その逆、敢えて曖昧なものに名前は付けない、人間の縄張りじゃないところには理解できないものは普通にあると考えるという手段もあるのだ。
お互いのゾーンが隣り合い、重なってしまったらどうしたらよいのだろう・・・そうなっても何とかなるよう、変化や違いに敏感であり、”存在”するものを尊重するのかもしれない。
それは他人の呪いに巻き込まれない、自衛の為でもあるのだろう。

それはさておき「遊びにくるもの」の山爺面白い。
山じゃない東京郊外が面白かったのだろうか。山から離れ過ぎると厭だとか、余程魅力的な実だったのか。
「雨とミヅチ」の巳ぃさんみたいに、今のこの現代でも人間と関わってくれる存在、居てくれはるんやなぁ。

「めぐりゆく水の物語 はじまりの音」はマツに読んで欲しいなーと思った。
なんとなく。