社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

文庫版 書楼弔堂 炎昼

「文庫版 書楼弔堂 炎昼」(京極夏彦集英社文庫)読んだ。
ネタバレするあるよ。

文庫版 書楼弔堂 炎昼 (集英社文庫)

文庫版 書楼弔堂 炎昼 (集英社文庫)

今回の語り手は女学生の塔子。
明治の、まだ「女に学は要らない」「女が小説を読むなんて」という時代の話である。
道で偶偶出会った松岡・田山という2人の男に書楼弔堂への道を聞かれる所から始まる。
此の頃には「古今東西の凡百書物が揃っていて、しかも購入できる」という都市伝説みたいな存在になっているようだ。
松岡は浪漫主義の新体詩を書く人・・・であるが本人は成就しなかった切ない恋心を綴るのみで世間との受け止められ方とのギャップに苦しんでいる。
弔堂に通ううちに、自らのすべき事を見つける。
此処では其の人の為の1冊をご主人が渡すのだけど、松岡には「此れから自分自身で書く」と言う。

また時代に沿うてきた。
芸術とは、普遍とは、生とは、死とは・・・2019年の今、読むべき作品だ、きっと。
鑑賞者の心に感動が発露した時に芸術と呼ばれる。自己表現ではない。
創作者の思いが伝わるのと、そんなもの越えて芸術として多くの人に時代を問わず愛でられるのと、どちらが幸せなのだろう?
もしかして松岡は思いが届いて欲しかったんだろうな、イネ子に。仮令多くの人に愛でられなくても。
その一方で本を読む有難み、楽しみについても書かれている。
作中で本に触れ、夢中になって読む姿を、読んでるこっちが「いいぞ!」「此れから本を読む楽しみを存分に味わえるなんて幸せものめ!」って思っちゃう。
もしかしたら自分の一冊は此の「文庫版 書楼弔堂 炎昼」だったのかもしれない、とすら。

感想ググってると頑なに苗字を明かさない塔子の正体についてあーだこーだやって(自分も誰だ?とググった)、そこに不満をお持ちの方もあるようだが、恐らく其処は何でもよかったのかもしれない。
天馬塔子は”此処”にいるのだ。本を開くと何時もいるのだ。其れ以上でも其れ以下でもない。
苗字を明かさない事で家制度的なモノから離れたい存在、女が学を・・・てな時代に小説を求め、焦がれる存在。其れでいいじゃないの。

どうでもいいニュース:
で、福来は此の後熊楠を誘って天皇機関作ろうとする訳だな。
・・・それは全然違う作品だッ
sociologicls.hatenadiary.jp