社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

〔少女庭国〕

ニゾン新曲のイントロがいい意味でミリキューっぽい。
初っ端から過剰なとこ、速いとこ。

「〔少女庭国〕」(矢部嵩ハヤカワ文庫JA)読んだ。

〔少女庭国〕 (ハヤカワ文庫JA)

〔少女庭国〕 (ハヤカワ文庫JA)

表紙は単行本の方が好きだ。
卒業式に向かっていた筈の少女が目を覚ますと部屋に寝ていた。
ドアには「ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ。時間は無制限とする」という卒業試験の問題が書かれた紙が貼られている。ドアを開けると別の少女が部屋に寝ていた。

「少女庭国」の方は文学的、文章が美しい。

「少女庭国補遺」は・・・おまいさんもそう来るか、的な。
こっちがメインなんだろ。
ちょっと草野原々の「最後にして最初のアイドル」収録作品達を思い出した。

少女って、何なんだろうな。
どういう”記号””機能”なんだろう。
記号なんてしゅーっとしたもんじゃない、数多を網羅する物体。
少女じゃなきゃだめなんだろう、少年でも子供でもダメ。
しかし殺しあって肉喰いあって原形留めなくなって、それでも少女。
延々と開拓してリアル世界の文明だの奴隷社会だのを無限(たぶん)の部屋で繰り返していく、いかされる。
”少女”が消費されてるみたいで。
原形留めなくなっても“少女”である事を書き手に求められて。
それが哀しい。
世間見てみりゃいくらでも”少女”は消費されてるだろう、でも此処で描かれる”少女”の消費のされ方はもっとえげつない。
救いが無い。
それはそれで需要あるんやろね・・・。