社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

稲生物怪録

何も言わない事は、満足している事とイコールではないんだな、とみお。

稲生物怪録」(京極夏彦:訳、東雅夫:編/角川ソフィア文庫)読んだ。
絵巻展・妖怪展観に行ったり情報追ったりして妖怪スキスキーって生きてると遭遇する物語である。
いずれ読まねば、と思ってたら、出た。
京極先生訳で。
幾つかバージョンがあるようだ。
稲生武太夫(平太郎ご本人)が書いた「三次実録物語」が京極先生・訳、同僚がご本人に聞取して書いた「稲生物怪録」が東先生・註である。
なのでちょっと違う印象。

読む前は「色んな妖怪がたくさん出てきてどったんばったんするけど平太郎は気にしない、頓智やらなんやらで切り抜ける。何と豪胆な人なんだろう!」てな話だと思ってた。
絵巻、なんだか可愛らしいし。蝶の下りは綺麗。
「三次実録物語」の「訳が判らないから私は寝た。」「勝手にしろと思って寝た」が京極先生の作品の登場人物らしくてたまらん。
物怪達、怖いというよりは、地味に厭。
ぺろんぺろん舐めてくる物怪、やだなぁ。
便利そうなやつもおる、棕櫚箒や吹き込む星は。
牡丹餅は・・・他所んちのだから、いかん。
悪太郎の方も誰か脅かしてんのかねぇ。

と、暢気に読んでいたら。
聞取で書かれた「稲生物怪録」はそんな暢気な話ではなかった。
みんな具合悪くなっている。平太郎が頑張れてる事に驚くくらい。
家来は職を辞してしまうし。
物見遊山的に人が来て伽するぞー→怖いから帰る、ばっかり。
怪異も手加減無しだ。
勝ち負けがあるから仕方ないのかもしれないが・・・他にないんかい、と。
全て終わって「氏神様のご加護だ」とお礼に参るような心掛けの人だから、耐え抜けたのかな。

ひとつの物語を様様に読み比べるの、面白い。