社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

今昔百鬼拾遺 天狗

「東京炎上」語りまくったが語りつくせてないエントリ(こちら)の流れで書こうと思ったが書けなかった件。
何で志村のお墓参りに行きたがるのかね。理解できない。
いくらファンで大好き☆でも自宅や実家押しかけたりしないだろう?迷惑だろう?おかしいだろう?
それとあんまり変わらんと思うが。
アーティストと客はステージと客席の距離だ、其処から近い方がイレギュラーなんだ。
(なので物販に本人居るバンドは何回見ても驚く)
ステージ下りたら普通の人、何処其処に居ただのギャアギャアやるの、おかしいよ。
・・・もっと書きたかったが、表現丸めた。

「今昔百鬼拾遺 天狗」(京極夏彦新潮文庫)読んだ。
ややネタバレあるよ。





高尾山中で消息を絶った友人を探しに行ったお嬢様(美弥子)と女子高生(美由紀)が壙に落ちて遭難する所から物語は始まる。
迦葉山で見つかった女性の遺体は、その友人の服を着ていた。
そして高尾山で行方不明になり捜索願が出されている女性がもう一人。
他にも行方不明で服だけ見つかった女性が。
事件には同性の恋愛、其れを受け入れられない古臭い家族の都合が・・・果たして。
まー狂っている。
百鬼夜行シリーズはだいたい狂ってるが。トップレベルかもしれない。
己の面子だの”こうするべき”だのの為には人が死んだって構わない、他人の命なんぞどうでもいい、というのは流石に。

昭和の話だけど、京極先生が今今、平成・令和を生きるに伝えたい事、も書かれているように思えた。

 上に載りたがる人は、おおむね自信がないのだろうと思う。他人に敬意を払う余裕なんかまるでなくって、兎に角保身に必死だから咬み付いて来るのだ。
 叩かなきゃ叩かれると思っているのだろうし、先に叩いた方が上だと思っているに違いない。そう云う人にとって人間関係は上下関係でしかなく、上は下を無条件に叩けるのだと考えているのかもしれない。(略)
(P.134)

「自分とは違う者は認めない、聞く耳も持たない、そのうえ恫喝して服従させる。違う者は潰す。何かと云うと人の上に乗っかって来て、上に乗った方が偉いって、サル山のお猿ですか?(略)」
(P.370)

と書きかけたとこで「波」の京極先生のインタビュー読んだ。
時事問題は意識されてないとの事。
“普遍的に考えるべき問題”と仰るけども。
お書きになる中に時代がちょいと忍び込んだか。
結局人間達は変わらない、変われないもんなのかも、だ。

ところで「新宿で発生している伝染性の奇病」って何の事だろう?これから?