社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

特別な歌

「5年後の茜色の夕日」とは・・・
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思いは分かる、歌いはるのは良い事だと思う。これでフジファブリックに興味持って、色々聴いてくれる、今のフジファブリックを聴いて、観てくれる人がが増えたら嬉しい。
「5年後の茜色の夕日」というタイトルもまぁ外れてはないんだろう。
だけど・・・なんかモヤるのは何故だろう。
昔から好きなフジファブリックに曲作って貰いましたよーって、楽曲提供だったら、モヤらなかったんだろうか。

ただカバーするんじゃなくて、カンドーの物語!にされちゃうように思えたのだ。
「菅田くんだけじゃなく歌自体にも物語があって~」みたいな、「茜色の夕日」商法みたいになったら厭だなぁ、と。
(かといって沢山ある菅田くんが好きな歌のうちの1曲でしかない、曲なんかどうでもくて菅田くんの普段見せない表情が見られるだけ・・・というのもなんだかなぁ)
思えば「茜色の夕日」はフジファブリックにとって特別な歌である。
この歌が無かったら、志村が故郷帰ろうとした時に翔やんが「だったら俺にくれ」って言って引き止めてなかったら、フジファブリックは無かっただろうし、世の中に出なかったかもしれない。菅田くんがこの歌と出会う事もなかった。
3人になってからライブで演ったのは武道館の時だけなのでは、その時だって歌ってたのは志村だ。
上手く説明出来ないんだけど、いい歌で沢山の人に聴いて欲しい、しかし特別な、重みのある歌でもあるので安易に「いいうたー」「いいはなしー」「なけるー」ってなって欲しくない。
他の人は知らんけど、自分はそう思っている。
だからカバーするならするなりの覚悟が必要なのかもしれない。
思い入れのある好きな歌を歌って演奏するのは自由だ、プロとして作品に残すんだから覚悟なり思いこめて演ってはるんだろう。
でもなんだろう、心のデリケートな所にチリチリ触れられているような感じがするんだ。
菅田くん自体はそこら辺解った上で歌ってはると思う(思いたい)、でもその周りに人にとってはどうなんだろうね。
そして今回歌われる歌が「若者のすべて」だったらここまでモヤモヤしなかっただろう、今のフジファブリックが演ってる、山内が歌ってる。
「茜色の夕日」はまだそうしてない。
人気のある曲だけど、武道館と同じやり方ですら演ってない。

今回の件で、Bank Bandsyrup16gの「Reborn」カバーした時の事、ちょっと思い出した。
当時復活するなんて思ってない頃で、シロップとして最後に演った歌が「Reborn」だった。
なのでファンにとっては特別な歌だったそうだ。
単にいい歌だから~って感動的なアレンジにされて歌われるのはしんどかったらしい、自分もちょっと厭だった。
シロップファン以外の人にはそういう反応が「ケチくさい」「閉鎖的」って思われてたみたいだが、特別な意味・思い出を持つ歌だからこそしんどかった。

今回もフジのファンがやいやい言うてるのを菅田くんファンやそれ以外の人に「閉鎖的」って思われちゃうんだろうなぁ・・・そうじゃなくってなあ。
この感覚、上手く説明出来ない・・・はがゆい。
※2018/02/21 追記
しつこいけど、菅田くんがカバーする事自体は良いのだ。
彼の歌いたい気持ちを越えてたとこでアレコレされてるのが厭なのかな・・・と。

どうでもいいニュース:
ファンがコピバンで演って「富士吉田公演の志村思い出した」って目頭押さえてたような歌なんだぜ。
バンドのギターさんだっけか。自分が参加して初めての練習の時に「予定にはなかったけど演ろう」って急遽合わせたのだった。
自分だってバンドで演る時に他の曲とは違う緊張感を持って弾いている。