社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

選択に年齢は関係ない、と自分くらいは言いたい

人間、何かを「選択」する時に「年齢」は関係ない。
ないはず。
なのに、実生活では「もう○歳なんだから」って言われるのは何故だろう。

具体的な数字じゃないけど「いい年して」とはめちゃくちゃ言われる。
「もうキティちゃんって年じゃないでしょ!」とか。因みに当時小学生。
多分うちのおかんの口癖だ。
年配の、自分自身が何かと制限受けてきた人は「○歳はこうあるべき!」に縛られちゃうんだろうなぁ。
自分が縛られてきてるから、我が子も縛られるのが当たり前、ワタシに出来た(やらされた)事が出来ないなんて、自由になろうなんてユルセナイ!んだろう。

・・・と考えてたんだけど、若くても「もう○歳だから」「○歳はこうあるべき!」な人は少なくない。
「ババアがピングーつけてる」って通りすがりに吐き捨てられたことがある。因みに当時高校生、言った相手は中学生くらいか。
ライブ行ってても「ジジイが」「ババアが」って言う人おるよな。
いつかそういう人に「お前も将来こうなるんやで!」と言ってやりたい。
若い人はもっと自由な考え方が出来る時代だし頭も柔らかい筈なんだけど、結局親や周りの年上の人に「こうあるべき!」って刷り込まれてしまうのだろうか。
(元々仲間や共通認識が通じる狭い目の範囲での人間関係の中で生きてるから、もあるかも)

別に幾つになっても、いいじゃない。
「40歳だけど幼稚園から人生やり直したい」は流石に無理、というかやめといた方がいいと思う^^;
冗談はさておき。
「○歳になったらこうしなければならない」に従う選択も出来るけれど
「○歳だけどこうしたい」という選択も出来るのになぁ。
選択に責任が負えるのなら。
負えるとしても、許せない人もあるんだよなぁ、どうしたらそういう人は変われるのだろう。無理かー。
自分は、選択するのと同時に、誰かの選択も許容出来るようになりたい。
「もう○歳だから」「○歳はこうあるべき!」は口にしたくない。

特別お題「『選択』と『年齢』」

Sponsored by SK-II