此の先どうなるか解らないから”先の楽しみ”として灯りを点していくしかない、だが其れすらも曖昧なのなら、離れたとこから見てる自分には「せめて此の夏は其の人が観たいアクトが観られますように」と祈るしかないのがもどかしい。 掛ける言葉が自分には無い…
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