社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

馬の首風雲録

ちょーっと前、流泉書房にあるという、筒井康隆の色紙を見てきた。
店内、本を物色しながら色紙を探したが見つからない。
諦めてお会計して貰いにレジに行ったら、社訓のように恭しく掲示されていた。
普段、筒井さんとかツツーイとか自分の中でお呼びしていて、ついうっかり「つつっ筒井さ、筒井先生の色紙はわわ」となるダメ人間なのであった。
写真撮る許可は頂いたがSNS等に載せてよいかは許可取ってないのと、神戸新聞コラムでも伏せられていたので、此処には載せない。

「馬の首風雲録」(筒井康隆/徳間文庫)読んだ。

行った時に買ったやつ。
地球を遠く離れた馬頭型暗黒星雲で起こる戦争、其の中を生き抜く兵隊相手の雑貨商”戦争婆さん”と四人の息子達、彼らに関わる人達の物語。
名前等がちょっとややこしいので四兄弟の名前や関係図をメモしながら読んだ。
令和のアレコレがトンチキ過ぎて妙なシンクロ感にSFを読みづらい、ならばいっそトンチキな今読んだろやないかい。

・・・なんだけど。
犬似の知的生物にデフォルメされているからか、あまり現実に寄せずに読んだ。
(しかし農民解放軍がトンビナイ襲った辺りは「ウクライナも・・・」と考えた)
人類最大の悲劇、人類最大の大ドタバタとして描かれるけど、馬鹿らしさ、虚しさ満載である。
筒井さんなので死に方殺され方は容赦ない、其れにしてもあまりに虚し過ぎる。
四兄弟にしても現地で出会う人達にしても、戦いたくて戦ってるんじゃない。
巻き込まれたくないのに、巻き込まれる、逃れられない。
死なせたくないのに部下が死んでいく。
現地に関わらない奴等程やりたい放題、小狡い。
其れでも逞しく生きていくんだ、生き残った人は。
でも終わる事は無いのか、戦争。
生きていくには仕方ないけどラストはちょっと複雑だな。。。

こういう戦争の描き方、体験・見て来た事の残し方もあるのだ。

とんでもない本読んじゃったなぁ。

どうでもいいニュース:
折角流泉行ったんやったら、「蘆屋家の崩壊」あるか探してくれば良かった。

疲れてるなぁという話

推し疲れの話題を見た。
何処まで推せるか、というか、「自分に無理のない範囲で」が大事。
でないと疲れる、消耗するだけ。
ただ、其の記事で語ってる人は推しの供給が追いきれなくて・・・という以前に海賊版、オフィシャルじゃない動画に手ェ出すのがよくない。

最近、ライブ行くんめんどくさくなってきた。
電車・バスの遅い時間帯の便が減って終バス繰り上がったり多少戻ったり、体力が無くなってきたり、メンタル弱ってきたり。
ライブハウスは(一時期程じゃないにしても)気を配りまくっているので或る意味安心感がある、だが其の道中は人わっさわさだし色んな人が居るし。
何か飲み食いしてから行くにしてもなるべく人の多くないとこで、短時間だけど多少の時間調整は出来るようにしたい・・・等、考える事が増えた。
後は気まずいとか。。。
SNSの使い方含めてスタンス合わない等等思う所があり、特に絡みも無いのでこちらがフォロー外したらブロックされたとかさぁ。
結構前(一時期TwitterのTLの表示が1~2時間分くらいで止まってた頃)の話だけど。
そういう人間関係もめんどくさい。。。
気にしなきゃいいんだが。
数少ない友達と仲良く出来ておればOKな筈である。
あと自分でも不思議なんだが、友人はいいけど、他人の熱烈な推し推しトートイトートイは見てるだけで疲れてきた。
其処は「ワテの分までトートイトートイしてくれる人がいらっしゃるのだな」と割り切るようにしている。

此れが推し疲れっつうやつか。

・・・てな事を考えている所に、強烈な話を目撃した。
雑に説明すると、「推しの全てを称賛します愛します」「ファンは溺愛すべき」「批判するのはファンじゃない」と言い出す人があった。
「ファン同士討論する必要はない」とか。
其の前段にファン同士の叩き合いだの足の引っ張り合いだのあったし、本人やオフィに物申すにしても「其れは無いだろう」と思える位、調子がきつくなってる人は見た事があった。
だから「落ち着こう」「ネガな意見は表現を考慮しよう」となるのは解る。
ただ、ファンだから出来る批判もあると思うのだ。
goo辞書によれば

[名](スル)
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

とある。
別の辞書サイトだと「普通、否定的な意味で使われる」とある、とすると批判というよりは、批評になるのかな。
好きだから考察した上で「もっとこうなったらいいのに」という意見が出るでしょうに。
そして「いや、自分はそうは思わない」という意見もでる、そういう遣り取りの中に新たな発見があるかもしれない。
自分は「ファンだからといって全てを称賛します愛します、とはならない」と考えるけども。
長く応援していれば合わなくなる点も出てくる。
今”溺愛”してる人達だって「私の好きなホニャララじゃない」ってならない保障は無い。
「運営があーでこーで本人が可哀想」みたいになってる人達も見てきた(全く別、他所の界隈で)。
愛は永遠じゃないのよ。

今一番好きなバの字でも、いずれそういう日が来るのだろうと思いながら、気づけば17年経っている。

あああああめんどくさい。
そういう事いちいち気にしてる自分がいちばんめんどくせえ。しねえ。

そんな一週間でした。

今日の流線型・その18

楽曲トーナメントあるじゃん。Twitterでやってるやつ。
よくよく考えたら不毛だよなぁ、楽曲競わせるのって。
どうせやるなら期間切って「此の曲の好きなとこ」「アルバムのN曲目で好きな曲」をプレゼンし合って「うおー其の解釈は無かった!」「おもしれーな」って盛り上がる方が楽しくないか?
其れは其れでめんどくさいか。
抑も、トーナメントって以前にもめっちゃやってたやん、だから「何回やるねん」って思う。飽きた。
(しかも本人に「こんなことやってます」ってメッセージするのか・・・喜んではったけどなんだかなぁって気はする。)

そんなこんなで「MUSICA」買う心算でタワレコ言って「MUSICA」じゃなくシロップ新譜買ってきた。
神戸店でラスト1枚っぽい。
サ行のとこ1枚も無くて、エンドに展開されてるとこに1枚だけあった。
すっからかんである。
レシートに五十嵐のメッセージあるらしくて同封してくださった。
五十嵐は曲作ってレコーディングしてライブするだけで有難いのに、其処まで・・・。
インタビューは把握出来てるだけでも3誌受けてるだろ、UKのラジオも出てるんだっけか。
其の上にそんなメッセージとはありがてえありがてえ。

さてお稽古。
例によって「何かライブ観た?」と聞かれて「オカンのオカリナ発表会」と答えるのもどうかと思う。
ギターソロも第3部ちょっとおかしい気がするけど、じゃあどう直すか?が判断つかなくて保留。
最後のBメロの前半のドラムはこうかな?と適当にやってみたらしっくりきたし楽しかったので其の儘入れたが、前後の繋がりは大丈夫だろうか。
いきなり現れる3個目、4個目のタム・・・ってなってなきゃよいが。
(毎曲毎回メモっとこうと思って忘れる、メモっても無くす。。。)
ドラムの後半はこうかな?って拾おうとしてるうちに「ベース入れた方が良くないか?」となったりギター拾ったり。
なんか今日は混乱してたな。。。
バッキングギターこんな感じ?と適当に弾いたらちょっと足りなかった。足した。

次回→多分最後のBメロの爲川パートが全部入ってない、ドラムも後半入ってない

ミッシェル・ポルナレフの新譜がめっちゃ良いらしい。

わたしの献立日記

12月のみやじのライブもといコンサートにドレスコードあるんだけど、着ていく服が無い。

「わたしの献立日記」(沢村貞子/中公文庫)読んだ。

丸善ジュンクの「書店員がいま一番売りたい本」フェアで見つけて面白そうなので、読んだ。
沢村さんちの朝晩の献立を記録したノートと、内容に纏わるエッセイ。
晩ご飯は主菜、副菜(日によって数は異なる)、汁物から成り立っている。
和食だけじゃなく、アクセントのように洋食もある。
酢の物がよく作られているような。
旦那さんの好物の牛肉バタ焼きも多い?と思ったが、沢村さん御自身が体力作りの為に克服して食べるようになりはったんかもしれない。
朝ご飯はサラダを中心にゆで玉子、パン、牛乳、フルーツ等。
殆ど毎日作ってはるのが凄い。
「身体にさわる偏食は何とかしなければならないけれど、ただの好みは、今更なおすこともない。」(p.131)みたいな割り切りも凄い、其れで献立分けてはるでしょう。
冒頭の「食と生活」でお父上の仰る中に「たった喉三寸の間でしか楽しめないからこそ、なるほどと思うようなうまいものを食べるのさ」って名言よなぁ。
ことわざ大辞典の「喉三寸」に「飲み下してしまえば皆同じ」とあるのを受けての言葉だけど、食べたら終いだからこそ喉越し含めて美味しいもの食べたいよねぇ。
其れだけ食べる事を大事にしてはったという事か。
食が自分自身を作り、支えるもの、そして生活・人生を豊かにする。

魚料理が増えて日記の文字が「なんとなくいきいきして」たり、ぜいたくなものを食べる時に「ダイヤの指輪一つ買ったと思えば」と言い訳したり、お福分けしたり、というのがチャーミングである。
ドラマの中で姑役として嫁役の方にぬかみその匂いでブツブツ言うと「たかがぬかみその匂いくらいであんなにいびるとは、けしからん」と手紙が来るとは大変だな。
「ぬかみそ漬けと姑役は難しい」と仰ってるのが面白い。
因みに、ぬか床にビオフェルミンを入れておられるそうだ。へぇ。

さらっと話されるのが関東大震災や空襲の話。
明治、大正、昭和(、そして平成)と生き抜いて来られた方だから、そういう記憶も生生しく残っているのだ。

いい俳優って、いいエッセイストでもあるのかも。
sociologicls.hatenadiary.jp
sociologicls.hatenadiary.jp
言葉の使い方が巧みで、言い回しや表現がすうっと心に入ってくる。

どうでもいいニュース:
フェアのプレゼントの「新厨房楽ギフトボックス ハヤシビーフ・カレービーフ」に惹かれたからじゃあないんだからね!

走馬灯のセトリは考えておいて

アイドルの「恋愛禁止」は、極一部の厄介ファン避けでもあるのでは、と思わないでもなかった。
「恋愛禁止だから、ファンが恋しても何しても叶わないよ」っていう。

「走馬灯のセトリは考えておいて」(柴田勝家ハヤカワ文庫JA)読んだ。
此のタイトルで此のジャケ写表紙はエモい(敢えてそう言うぞ、表題作を読めば解る)。
走馬灯のセトリは考えておいて (ハヤカワ文庫JA)
半分くらいは他のアンソロで読んだ事がある作品。
こんなん何回読んでもいいですからね。
以下、ネタバレするかも。





・オンライン福男
えべっさんの福男選びが如何にしてオンライン化し、進化していったのかを解説、大津戎神社のパンフレットやHPに掲載されてそうな文章。
めたばーすとやらをやってくなら「オンライン福男」実現してよね。
・クランツマンの秘仏
「異常論文」の魁。
再読して思ったけど、もしクランツマンが家族を顧みておればクランツマンの霊的質量が減らずに秘仏御開帳!だったのでは、そして息子が日記を読んで後追い調査したからクランツマンは秘仏となって厨子に入れたのでは。
・絶滅の作法
タイトルの印象とは違ってセンチメンタル。
異星種にとっての移住体験は、読んでる自分にとっての日常生活なのに、なんだか懐かしい。
人間自体は絶滅してるのに、こうやって”生き残って”んだな。
・火星環境下における宗教性原虫の適応と分布
「クランツマンの秘仏」から「異常論文」が始まったのだが、実際の「異常論文」に収録されたのはこちら。
此れを理解出来る知能・知性が欲しかった(またかよ)。
地球に於ける宗教の適応と分布も、こんな風に誰か観察して論文書いてはるんかもしれん。
・姫日記
のぶやぼ!
ああーゲームの世界に転生したんですね。
って、此れ実在するのか。
もう小説なんだかガチ日記なんだか解らない。どっちでもいい。
・走馬灯のセトリは考えておいて
タイトルだけできゅんとくる。エモい物語。
死後もライフログから”ライフキャスト”を作って其の人を残せる時代に、自分自身ではなく”バーチャルアイドル”としてライフキャストを作り、此の世を卒業するラストライブを行う・・・という話。
バーチャルアイドル”と”中の人”を巡る話、なのかと思いきや、其れだけじゃない。
何故其のバーチャルアイドルは生まれたのか。魂って、本物って何。お父さんの正体。
ラストライブはどうなるのか。
情報が沢山あればあるほど正確なモノが出来るのかもしれない、でも其れだけじゃなかったんだな。
其れが一体何なのかは未だ自分は説明出来ない、ただバーチャルアイドルに託したから実現出来たのかも、とは思った。
人の気持ち、想いもデータ的に残せるのかもしれない。
あと、よく考えたら”悪い人”が出てこない。
想いの強さ、純粋さを描く、だから”悪い人”は居なくていい、ただ登場人物みんな力いっぱい生きていればいい。
”祈り”なんだ、其れが。
そして信仰活動(推し活)で”崩壊”を経験されているのに、されているのにも拘らずお優しいんだよな・・・ファンにも推しにも舞台裏にも全ての人にも。
規模問わず“みんなハッピー”は難しい、だからこそ柴田さんの描くバーチャルアイドルのライブが眩しくて美しいのかもしんない。
此れが柴田さんの”祈り”なのかも。