社会学的ラブソング・改

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零號琴(SFマガジン連載版)

「零號琴」のSFマガジン連載版を読んだ。
文庫待ちしてたが、待ちきれないのと文庫化する時に大幅に加筆修正あるやろし・・・と思って。
連載版から、という事はリアタイで追ってはった方と同じ順序なのかな。
単行本は単行本で読む心算、しかし色々あって単行本とSFマガジン連載版を同時並行で読む事になりそうだった。。。
何とか読みきった。多くは語るまい。

特種楽器技工士であるトロムボノクは色々あって相棒のシェリュバンと惑星<美縟>に行き、<行ってしまった人たち>が残して行った(完成できなかった)、首都・磐記をそっくり楽器とする”零號鐘”復元に関わる事に。
で、美縟では開府500年を記念した假劇を行うのだが、不穏な夢が・・・という話。
美縟には<サーガ>という大規模な物語群があり、人々は週1回、假面を付けて街で假劇を行うのである。
・・・あれ、零號鐘?零號ではなく?美玉鐘じゃないの?
という感じで、単行本と連載版とで言葉が違う模様。
このエントリを書くにあたり他の方の感想も拝読して・・・と見ていったが、「そんなん出てきたっけ?」というのが結構あった。

うーむ、感想書きづらい。
何はともあれ、読んだらいいよ、と。
以前電子書籍だと厚みが分からないから京極夏彦を謀って読ませて・・・という話を聞いたことあるが、その疑似体験をしたよ。
結構読んだかな、と思ったら30%も行ってなかったという。
半分越えたら一気、ですけど。
旋妓婀(フリギア)出てきてからが早いぞ。

数多のフィクションだけではなく、フィクションという役割・装置へのオマージュでもあると思った。
人々にとってフィクションというものがどうあるのか。
ワンダの作り上げた假劇は、假劇に慣れた人々だけではなく、観光客のような人達も<鋳衣>という面を付けて参加出来るのであるが、それが例えばプリキュアショーでステージに声援送る大小の子供達や放送をツイッター実況する視聴者のようでもあるのだ。
直接ではない、そういうフィクションへの参加の仕方もあるな。
そして美縟の人々にとっての假劇はただの娯楽ではない、もっと意味があるのだ。
覆い隠して”忘れた”事にした過去を掘り起こすのもまた、假劇というフィクション。
トロムボノクの過去を遡ればどろろも?と思ったが、流石に其処までは。。。

世界が崩壊する美しさ。
「廃園の天使」シリーズも「象られた力」も、美しく構築された世界を如何に”美しく崩壊させるか”というテーマがあるのだなと思っているが、この小説もそんな面がある。
リブートするけど。
あと読んでいるだけなのに、様様な感覚が、別の感覚を乗り越えてくる。
文字しかないのに、脳内には音も映像も匂いも何もかもがある。
彫刻のように細かく象られた音、”零號鐘”が奏でるのはどんな音楽なんだろう。
体験出来ないのが口惜しい・・・耳やられそうだけど。