社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

中国のこっくりさん

「中国のこっくりさん 扶鸞信仰と華人社会」(志賀市子/大修館書店)読んだ。
図書館で別の本借りようと探してる時に見かけ、なんか凄そうだなーと思って借りてきた。
扶鸞というのがそれ。
専用の筆(というか棒)を、けい手*1という人が支え、砂・香灰に神様のメッセージを書いていくちというものである。
ナニモノかが動かしてお告げをするというのは同じだが、もっと本格的・宗教的な感じだ。
けい手も神様に許可を得て先輩からやり方を教わる、専門の人が行う。興味・素養がある人から選ばれるようだ。
誰でも出来る訳ではない。
著者はフィールドワークを行うにあたり、実際に香港の道壇を訪れて扶鸞を体験しておられる。
けい示を受けておられるが、それは受け手の解釈で何とでも読み取れる言葉ではなく、”海外から扶鸞を研究しにきた人へのメッセージ”だった。
予め尋ねたい事を紙に書いて渡してはいるが、けい手の意思では書けなさそうな言葉だった。
神様も海外から「勉強したい」とやってきた人間というのは面白く、その真剣さが好ましかったのだろう。
特別な事のようだが、現地で暮らしてる人達にとっては日常なんかな、と。
ちょっと困った事があって相談したい、体の調子が悪い・・・という時にお参りして、言葉を受け取って救われたり癒されたりする。
宗教ではあるのだろうけど、自分が連想する“宗教”より身近でカジュアルなのかもしれない。
もし自分の身近なところで受けられるのであれば、行ってみるかもしれない。
(信者ではなく一般の人でも受ける機会はあるのだそうだ。)
好奇心的なものも勿論あるけど、人に相談するのともまた違う観点からの解決がありそうだ。
読み取る力が無いと、きちんと受け止められないかもしれないが。後で「こういう意味だった」と分かる事もあるそうだし。
今の日本だったら、きちんとしたところばかりでなく金儲けだの違うモノ売りつけるだのしそうだが・・・。
そういう奴にはきっちり罰が当たるか。

この本が出たのが2003年、その後大きく変わった中国でこの文化はどうなっているのだろう。

余談:
タンキーは文化人類学の講義で知ってた。
ビデオ観ながらうつらうつらして、はッ!と気づけば血まみれのタンキーの映像だったよ・・・

*1:けいは「占」に「礼」のつくりだが文字が変換出来ない