社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

ヒトでなし

日記書きましたツイをすると、このおばかブログとは縁が無さそうなアカウントからイイネがつく。
こんなんでも見て下さるなら有難い、しかし多分見てない。
どうせはてなブログのタグ付けてるツイってだけでイイネするんでしょ?な垢がある。そういうのはだいたい勧誘か教えてヤルヤルだ。
アフィ要らんつうかお前らみたいな奴の所為でただ書きたい事書きたいだけの人間が迷惑してるし、PV数アップ指南とかお呼びでない。
で、何故かそういう方々はライブレポにはあまり反応しないんだよね、ふしぎ!
あとはてなブログで書いてるのに付けるのはスターじゃないんですね。

「ヒトでなし 金剛界の章」(京極夏彦新潮文庫)読んだ。
帯に”超・宗教エンタテインメント”とある。
何やら不思議な読感である。こんなん読んだ事無い。ぽかーん。
主人公が虚無。
我が子を亡くして妻子が去り、仕事を解雇され、家も無くなった男、尾田の話。
死にたがる女に「なら死ねよ」と言い、偶偶出会った友人に「宗教をやろう」と誘われ、なんだかんだあって訪ねた友人の祖父には人でなしでないと仏道は歩けない、「人を救えるのは人でないものだけだ」と言われる。
そして我が子を亡くした原因もやってくる。
とんでもないが強力な憑き物落とし。←京極作品だけにそういう目で見ちゃう
「死にたい」と言っても、結局死にたくないのだ。それくらい”しんどい”という事なんだけど、それすらも「どうでもいい」。
一旦極限まで行ってしまえば、後は浮かぶだけだ。どういう方向に浮かぶのだとしても。
尾田みたいに感情を表現する事も無い(”感情を表現する自体が感情そのもの”と出てくる)、それはそれでしんどそうな気もするが、それすらも何もかも「どうでもいい」と言い切れるのであれば、楽になれるのかもしれない。
”解脱する”とは、モノも感情も他者に対する何かも全て棄てる事なんだな。
しかし”分かる人”には分かるものなのかね、「勝手に救われる」為に気持ち吐き出していい相手、というのが。

で、解脱しても、何もないのかも。