社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

羊と鋼の森

中学の頃通ってた塾は個人のおうちで、先生が「うちのピアノ、いいピアノなのよ」と仰っていた。
一度弾かせて貰ったけど・・・ううむ。
カーテン洗濯してから響きがよくなくなってしまったらしい。そういうもんなのかな。

羊と鋼の森」(宮下奈都/文春文庫)読んで、ちょっとその事を思い出した。
そんなに調律に頼るもんなんだろうか、ピアノの音。
出したい音って、だいたい弾く人の技量次第で調律云々となるのはトップ中トップのプロレベルが己を極め抜いた上で更に高みを目指す・・・というフェーズで細かく口出しするもんだと思ってた。
音大目指してます、音大生ですレベル、生業で弾いてますレベルで自分の音の良し悪しを調律に委ねてしまうもんなのかねぇ。
少なくとも、言い訳にはならない。
・・・とか言い出すと調律師の物語にならないのか。
この物語には色んなピアノ弾きとピアノが出てくるが、弾きも手入れもしてないピアノの調律にあーだこーだ言う奴には本気で腹が立って。
その他でも、そんなに調律に要望出すもんなんかねぇ・・・と思った。
どんな楽器でも”楽器自体”のあれやこれやに拘るものではあるし、それも魅力のうちなんだろうけど、出したい音を出せるかはピアノ弾きの実力のうちでしかなくて、己の出せてなさを調律で補う事は出来ないのでは。
ずっとモヤモヤしながら読んでた。

でも面白かった。
思いもよらない所にドラマがあって、情熱があるのだなぁ。
板鳥さんの調律したピアノも、外村のピアノも弾いてみたくなった。勿論他の方も。
双子に肩入れしすぎで大丈夫か?と思うが、それだけ魅力的なピアノ弾く子達なんだろうな。

ピアノに申し訳ない事をしてきちゃったな・・・。
実家のピアノ殆ど弾いてこなかったし、もう何年も放置してしまってる。
調律、して貰えてるんだろうか。

どうでもいいニュース:
個人的にはどんな鍵盤でも、一定のレベルで弾けてナンボだと思う。
シンセの鍵盤でいいピアノ弾けないし(何故かEX5は除く)、ピアノ鍵盤でないと一層まともな音出せないんだけど、そういうのが己の至らなさだと思っている。
ほんとに上手い人だったら、どんな環境でも”いい音”で弾けるんではないかね。
タッチや音の出方に好みはあるだろうし、それが本人のコンディションを左右するんだろうけど。