社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

そろそろダークゾーン

いちいち言う事じゃないんだろうけど、カクヨムツイッターのフォロー外した。
作品紹介・宣伝だから仕方ないんだけど、流石に露出高いおなごのイラストが大量に流れてくるのは厭だよ・・・
サムネだと端っこぶった切るような形で表示されるから尚更。

それはさておき。
・MUSICA
くるりや時雨みたいな”己の道を行く”ような曲の作り方をする人が増えたらいいのになぁ・・・
このご時勢幅広い世代・趣味の人達にウケるものはなかなかない。星野源みたいな人もいるけど。
だったらコアな層のドツボ射抜くような音楽があっても良いのでは。それで固定ファン繋ぎとめるのも戦略としてはアリなんでは。とは思うけど甘いのか。
UNISONみたいに”己の道を行く”為にマス取り込まないとだめなんかねぇ。
うーん。
岸田がこのインタビューで語ってはるレコーディングの音の話、「ディア・フレンズ」で語ってた話だろうか。(聴こえなかった)
「音楽で何かできないか」とは、恐らく東日本大震災の頃の「音楽どころじゃない生きる事だけで精一杯な中、それでも音楽を続けるには」という理由付けでもあり、「無力さを叩きつけられた中で何か縋りたい」先にあるモノだったんだろうと思った。
こんなご時勢だからこそ「音楽に過剰な役割を持たせる」のも「持たせない」のもどちらもアリなのかもしれない。危機を忘れちゃいけない一方で緩和したいというのもあるのだろう。
(そうは言ってもめんどくさい人達・・・聴き手、インタビュアーやレビュアーみたいなやつが”意味””役割”持たせちゃうだろうし)
星野源の「ドラえもん」みたいに設定・ストーリー的なものがあるのも面白いと思う。
「今やってない曲調をやるために過去の自分にオファーする」「ドラえもんが来てくれる」というのが面白い。ドラえもんが来て「House ver.」に参加するってどんなんだろうね。
オファーに応えつつそうじゃない自分の表現として成立してるのも面白い。
応え切れないまま「ワタシワタシ」って人らもあるやん・・・誰とは言わないが某オリンピック関連のげふんげふん
あ、「ご老人のような方々」は案外ネット・配信強いと思うよ鹿っぺ。音楽ダウンロードの強い弱いは世代関係ないと思われ。
・書標
坂口安吾の「桜の森の満開の下」ってコミカライズされてるんだねぇ。気になる。
「偏愛研究家」という特集で対象を偏愛する方々の著書が紹介されているが、此処に某プラントハンターが出てくるのは何となく違う気がする。
ご自身がプラントハンティングするのが「自分のため」、著書紹介してる人が「そうしたエゴの発露もまた、ひとつの愛の形であろう、と思う。」と仰るのは自由なんだが、その”自分のため””エゴの発露”で碌でもないクリスマスイベントやられた日にゃあ、ねぇ・・・そんなんをさかなクンはてなでお馴染みのバッタ倒しにアフリカへ行かはった方や鳥類学者と並べられても。