社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

大人になると

今月のROCKIN' ON JAPANの「激刊!山崎」で「音楽のアーティストの引退というのはあまりないが、リスナーには引退があるようだ」という話をお書きになっていた。「あまりにももったいないな」とも。
もったいない・・・が、好きで”引退”してる訳じゃないと思う。
「新しい音楽についていけない」だけじゃない。

生活サイクルが変わると、新しい音楽に接する事が出来なくなる。
学生時代はお金無くても知恵と体力で全国各地にライブ行ったり、話題のアーティストのライブに行きまくったり出来ていた人も、就職すると時間のやり繰りがつかなくて行けなくなるかもしれない。
ライブ行く心算でチケット買ってたのに急な残業・出張で行けなくなるとか。
たまーにライブ日程に合わせて出張出来る人もある。自分は残業のふりしてライブ行ってた。フレックス活用したり。
あと結婚して子供産まれたら、物理的に厳しくなる。
趣味に割く時間が取れない・・・と友人は嘆いていた。ライブに行く以前に、音楽に触れる時間が少なくなる。
或いは体調の問題。
体の不調・病気で聴きたくても聴けない人もある。
だから好きで”引退”状態になってるんじゃない、そうならざるを得ない人が多いのではないだろうか。
それでも普段から頑張って、うまくやり繰りしてライブ行ったり音楽に触れたりする人もあるけど(偉いなぁ)。
復活する人もあるだろうし、”引退”中に違う趣味見つけてそちらに夢中になる人もあるだろう。
メディアの問題だけじゃないし、アーティストの問題じゃない。
新しい音楽に触れていって貰わないと山崎さん達は困るんだろうとは思うが。
触れたくても触れられない人が、今月の「激刊!山崎」読んだら悲しむんじゃないかね。ワシは悲しかった。

それにしても「区別がつかなくなる現象」はどうにかならないものだろうか。
義務教育の頃に「ジャニーズの誰が誰なのか分からない大人にはなりたくない!」と思ってたのに、そうなってしまった。
そしてバンドも。
昔から音聴かないで雑誌媒体(それこそROJとかさぁ)のみで触れていたので、BRAHMANACIDMANを混同しがちな人間だったけど。*1
普段から顔認識には問題があるとはいえ。
今ほんっとに分からなくなってきてる。
雑誌・フリーペーパー読むしスペシャやラジオで新しい音楽に触れる機会もまだまだあるのに。
何だろう、音楽聴いたりインタビュー読んだりした時に”引っかかり”が無いん。
何かしら「面白い事言うてる」「音が好き」っていうのがあれば覚えてるんだけど、つるつるーっと「ふーん」と読んで終わってしまう。

もしかして、これが老化?

いやあああああ

*1:友達にこの話した時に「こないだそんな奴おらんやろーって言ってたらこんなとこにいた!」とバカウケした