社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

演奏について考えてみたり

昨夜から今日にかけて、友人のツイで「SAI」の余韻に浸っておりました。
いいライブだったんだな・・・観たかったなぁ。愛で溢れてたんだなぁ。

人様の余韻に便乗して浸ってる場合でもないので、発表会ライブの演奏を録音したやつ聴き返しておりましたが音割れ酷っ!
オルガン爆音で鳴ってるのとコーラス音外してるのがめっっっちゃくちゃ恥ずかしい。
ギターに負けないでかい音で弾きたいとは思っていたが、さすがにでかすぎて恥ずかしい。しかもしくじってるし。
2番辺りから多少余裕出てきたのが音に出てる。オクターブ間違えてたの直しただけじゃなく。
みんなかっこよかったよ!自分以外は!でも自分で自分を褒めたいとこも少しはある!
自分の演奏、録音についてはイヤー!ってならず「ここがダメだった」「ここはまぁ良し」とやや冷静に聴けるようになった。
映像観るのは怖い・・・。
「モノノケハカランダ」の時、写真撮って頂いたのを見たが、すっごい目が泳いでて恥ずかしい以上に怖かった。
「如何にも発表会でーす」みたいな、お利口さんな感じになりたくなくて、「ライブでやっとんねん!」な感じにしたくて頑張ってたんだが。何のホラーだよ。
ま、まぁ「弾くのに必死!自分の事で精一杯!」ではなくなってきたのは良い事ではないだろーか。違うか。

最近は「山内みたいに演奏出来たらなー」って考えている。
すっごい楽しそうやん。
実際、「あー楽しい」ってよくMCで仰るけど、言葉以上に表情・演奏に「ほんま楽しいねん!見て見て!みんなも楽しんでくれたらほんま嬉しい!」っていうのが伝わってくる。
そういうのは観てる側も楽しいもんね。嬉しくなるし、「生みの苦しみとか色々あるんやろうけど、活き活き楽しそうでよかった」と安心もする。
自分もそういうの出来たらええなー。
でも「自分が楽しい!」だけじゃ、そうならない。
技術が無いと出来ないんだよなー。「楽しいねん!」ていう余裕がない。
実際、ウルフルズセッションで「あー楽しい」って弾こうとしたけど、それどころじゃなかった。

今年は「UNICITY」のかみじょうと貴雄ちゃんの対談の

キミに憧れてドラム始めた人とも戦ってちゃんと息の根を止めてあげるのが礼儀なんだよ

という言葉についてもしみじみ考えていた。
プロ怖ぇ。
勿論、発表会ライブに出る素人はそんなレベルで戦う訳じゃないし、そもそも戦わないし。
ただでさえ、ライブ出て弾こうってな鍵盤人口少ないんだぜ・・・仲良くしたいんだぜ。
時々”息の根止め”られた人がリハビリみたくお稽古に通ってる。そういう人知ってる。
でもちょっと考えていた、実質的なバンドのトップバッターに我我持って来たヤ○ハには後悔させてやりてえなぁ、と。
初っ端にこんなんやられたら後の人やりづらくね?後半に出してやればよかった・・・と。
実際どうだったかは知らんが。
シンセのボリューム最大の確認にはなったんじゃね?(泣)

「めっちゃ弾くん楽しいねん!」と「息の根止めてあげる」は全然方向性違うけど、技術が無いと出来ないという点では多分同じだ。

とか言いつつ練習きらーい。寂しいんだもん。